『母性の変化』j助産師 賀久はつさんより
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
朝夕は、急に冷え込むようになって来ましたね。ご体調管理にはくれぐれもお気を付け下さいませ。
今日は、「れいろう」という月刊誌に掲載されていました助産師の賀久はつさんの記事がとても良かったのでご紹介させて頂きます。
賀久はつさんは、ちょうど4年前の麗明堂謝恩講演会の講師としてお招きして、私の地元佐土原町でお産の現場から見た素晴らしいお話をしていただきました。今までに4000名の赤ちゃんを元気に無事にとりあげた賀久さんは、“神の手”を持つといわれています。
「母性の変化」
近年、目を奪いたくなるような事件や耳を塞ぎたくなるような事件が跡を絶ちません。それがどんな事件かといえば、やはり子供たちにかかわるものでしょう。「わが子を虐待」「わが子を殺害」。そんな言葉を見聞きするだけで、おかしな世の中になってしまったと誰もが思うのではないでしょうか。
なぜこのような痛ましい事件が増えてしまったのか。その要因として一つ挙げるとすれば、それは「母性の変化」なのではないかと思います。
私は長年、助産師として命の誕生にかかわってきました。百人いれば百通りのお産があり、百通りの家族のかたちがあります。何千人という命を迎えるお手伝いをさせていただいてきた中で、時代の流れとともに家族のあり方の変化が見えてきたのです。
本来、母親は子供がかわいくて愛しくてたまりません。出産後、母親が入院中の病院にお見舞いに来てくれた知人が、わが子を抱っこしてくれるのはありがたいことなのですが、母親は心の中で「やめて、抱かないで!危ないな・・・。大丈夫かな」と思うものです。私もそうでした。
ところが、今はどうでしょう。「もっと抱いて、ずっと面倒見て。そのほうが私は楽でいいわ」という姿勢でいる母親が増えてきました。本当に不思議でなりません。
この不思議を紐解いてみると、やはり社会の変化とともに、人も変化していることを認めざるを得ないのです。
終戦直前から直後の日本に時をさかのぼってみましょう。当時、日本は大変な時代に直面していました。母親が子供にすべての愛情を向けるというのは不可能な時代でした。
不安のほうが大きかったに違いありません。明日食べるものにも困っていた時代ですから、母親たちは子供たちになんとか食べさせようと毎日必死です。それは、もちろん子供たちを愛しているが故の行動ですが、子供たちにはその愛情がうまく伝わらなかったのでしょう。
そんな子供もまた、母親の愛情を一身に受けられない不安や不満が募って育ちました。言ってしまえば、どちらも被害者なわけです。
その時代に育った子供たちがお産をするときに社会にどんな変化があったかと言うと、医療の発達です。日本は先進国として経済発展を遂げ、医療もこの30年の間に急激に発達しました。医療管理のもとでのお産が主流になったということで、母親の安心は増したかもしれませんが、必ずしも良いことばかりではなかったのです。
なぜかと言えば、女性の母性に悪い影響を及ぼしてしまっているからです。助産院のように自然な形での出産は激減し、大きな病院での出産が主流となりました。出産を迎えた母親も子供も、常にさまざまな医療器具に囲まれています。虐待が増えたのも、やはり医療発達の後のことです。
この流れを見てくると、この世の中はすべてが因果関係で成り立っていると証明しているように感じます。
私が先月パソコンから24時間いつでも聞けるインターネットラジオで、 『気をつけたい育て方』についてお話しています。よかったらお聴き下さいね!
http://www.omoraji.com/reimei.shtml
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