宮崎市にある子宝・ガン・ダイエット・健康の相談薬局です

漢方の麗明堂
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   がんの悩み

がんの悩み

 現在、日本人の約2人に1人が罹ると言われている病気、それが『がん』です。つまり、私たちにとって決して珍しくない病気ですから、今から『がん』にならないように、少しでも早くから予防できることを、始めていかれることをお勧めしています。体温が低い方、食生活が気になる方、ストレスの多い方、がんになった方がご家族におられる方など、がんになるリスクの高そうな方は、ぜひお早めにご相談下さい。
 
 また、『がん』でお悩みの方には、私が今までにがんで悩んでおられる方に喜んで頂いている“麗明堂式免疫理論”に基づく【体の整え方】をお伝えさせて頂いています。

 がんのカウンセリングは、今のお体の状態をお伺いして“麗明堂式免疫理論”をご説明するのにお時間が約1~2時間ほど掛かりますので、前もってご予約のお電話をいただきますようお願い致します。

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お客様の体験談】

 

【肺がん手術後、抗がん剤治療なしで元気に過ごせています。】

Z.Mさん(72歳女性/肺がん)

 ある日突然、激しい胸の痛みに襲われました。すぐに痛みは治りましたが、心臓が悪いのではないかと不安に なり県病院で検査を受けることにしました。心臓に異常はありませんでしたが、左の肺に影があると言われ、後日「組織検査」をしました。結果はステージⅠの肺がんでした。突然の事でしたので、頭が真っ白になり落ち込んでいると、娘が「金丸先生のところに相談に行こう!」とすぐに予約を取ってくれました。藁にもすがる思いで、先生の所へ伺い話を聞いて頂きました。

 手術前に、金丸先生おすすめのものを手術前に飲んで挑みました。左の肺3分の1を切除しましたが、経過が良く、抗がん剤治療をしなくて良いとのことで、術後3日で退院となりました。おかげで現在は転移もなく、綺麗に良くなっているとのことです。今では友人たちと元気にグランドゴルフを楽しんでおります。

 金丸先生、そして麗明堂のスタッフの皆様には、温かいお言葉や励ましのお言葉を頂き感謝しております。退院後は、再発予防のため、金丸先生おすすめのもので、体調も徐々に良くなり、傷の痛みも軽減し、現在も続けて飲んでおります。

 

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【免疫剤と漢方のお陰で、腫瘍マーカーが下がってきました。】

SKさん(71歳女性/膵臓がん)

私の膵臓がんが見つかったのは、令和4年11月のことでした。

よくお腹が張ったり、痛くなったり、便秘になるので、地元の病院に通い、その都度、胃の痛み止めや便秘薬を処方してもらっていました。気になって、ここ3~4年は胃と大腸の検査を受けましたが、その度「きれいですよ~」と言われるので、安心していました。

しかし、いつまでも症状が改善されないので、私のほうから「何か検査をしてください!!」とお願いしましたらCTを撮ってくれました。すると、膵臓が大きくはれているので、うちでは対応できないと大病院を紹介されました。その時、医師が「膵炎かなぁー」と言いましたので、私は「膵臓がんではないですか?」と聞き返しました。その後、大病院で検査をしたら膵臓がんでした。

私の膵臓がんの状態は、冠動脈と冠静脈をがんが取り巻いていたので、「手術ができるレベルではなく、治療は化学療法しかないです。」と言われました。

治すには手術しかないけど、手術はできないので、抗がん剤(化学療法)による延命治療しかないとのことでした。「私の命はあとどの位ですか?」と医師に尋ねましたら、「薬が効いて1年、薬が効かなければ3~5ヵ月」と言われて、とてもショックを受けました。その後、気持ちを落ち着かせるのに1~2週間かかりました。

抗がん剤をするために入院する前に、次男の嫁から「お母さんは大変だから、相談しなくて麗明堂に直接予約を入れたから…」と言われて、親子4人で初めて来店しました。その時は、藁にもすがる思いで金丸先生のお話を聞いて、1日でも長く元気でいたいな~と思いました。

その日から、麗明堂おすすめの免疫剤漢方笹王を飲み始めて、毎日患部に温灸を続けました。そして、あと残り少ない人生を、ちょっとでも楽しく過ごしたいと思って、ガーデニングを集中して楽しみました。ガーデニングを一生懸命やっている時は、不思議と病気のことを忘れてしまうのです。最初は、お正月まで生きているのかなと思いましたが、植物の芽が出る姿を見て、私も頑張ろう!!と植物から元気がもらえました。お天気が良ければ、一日中でも外にいました。「私にとっては、花が薬だから」と言って、宮崎市内の花屋さんに週に2~3回通いました。昨年植えたのが春先に芽を出せば元気をもらえるし、新しい種類のお花があれば植えて増やしたり、家庭菜園の野菜作りも楽しみました。主人と一緒に買い物に行ったり、普通のことをしていたいな~と思いました。

すると2022年11月に200台で、12月に300台だった腫瘍マーカーが、1月は1602月は1503月は954月は565月は426月は427月は45と段々と数字が下がり(基準値37.0U/ml以下)、落ち着いてきました。ここまで順調に下がって良くなっていきましたので、あれだけ気になっていた腫瘍マーカーの数字をあまり気にしなくなってきました。3ヵ月毎の造影検査は、まだ少しドキドキしますが、血液検査の数値は月に1回見るくらいにしました。

そして、医師から「転移はないよ」と言われました。きっと麗明堂おすすめの免疫剤や漢方が効いているのだろうとすぐに思いました。

まだ、「明日、目が覚めるかな~」「普通の生活がいつまでできるのかなぁ」と不安がよぎることもありますが、一応私は余命宣告されましたので、残された日を少しでも楽しく、一日一日を過ごしたいと思っています

梅の時期を迎えたときに、今年は梅を漬けれるかなと思って梅を5kg買ってきましたが、だいぶ体力が戻ってきていけそうな気がして、結局例年通り20kgの梅を漬けました。息子たちが「梅干ちょうだい!」と言って持って行きますし、喜んでくれる友達にもあげますし、梅干が美味しいと言ってもらえると嬉しいので、元気になってこれからも毎年梅干を作り続けたいと思います。

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【「麗明堂おすすめの免疫剤」に出会えた事に感謝!!

AUさん(79歳/男性)

 2016年10月、79歳で前立腺がんの診断を受けました。
父に対しての告知もしており、本人も私も不安に駆られる毎日が続きました。長きにわたり夫婦生活を共にしてきた妻(私の母)もちょうどその一年前に他界し、父は一人寂しく過ごしていたに違いありません。三姉妹である私たちですが、県内に居住しているのは私だけで、週に一度のペースではありましたが片道2時間かかる父の待つ実家に通い続けました。

 実は、主人の母も2014年に胃がんの診断を受けており、その時に金丸先生から「麗明堂おすすめのもの」を勧められ、手術の前後で1ヵ月間、毎日1本服用し、その後も麗明堂おすすめのものを継続して飲んでいました。そのことを思い出し父にも麗明堂おすすめのものを勧めてみました。飲み始めて2ヵ月もすると、麗明堂おすすめのものの良さを実感したのか「体調が良かがよ!」「確かに免疫剤B液は良かね!」と絶賛する父の姿がありました。希釈する手間はかかりますが、それを面倒臭がらずに毎朝飲んでくれていたようです。

 そうは言っても、がんの宣告を受けて5年が経過したある日、ついに「余命3ヵ月」の宣告を受けました。「痛みがなければ少しでも長生きしてもらいたい」「もっと父の笑顔が見たい」そういった思いからこれまでの免疫剤B液から麗明堂おすすめの免疫剤に切り替え、再び毎日1本飲んでもらいました。通常、がんの末期といえば痛みに耐えるイメージがありますが、最後まで父の口から「痛い」という言葉を聞いたことがありませんでした。

 麗明堂おすすめのものの効果だと思いますが「余命3ヵ月」と宣告された後も、最終的には「7ヵ月間」を共に過ごすことができました。大した親孝行はできませんでしたが、麗明堂おすすめのものを勧め、最後まで「痛い」「苦しい」思いをせずに眠るように旅立っていった父の姿を見ると、最後の孝行ができたのかなと思っています。

 おわりに、先に述べた義母は、胃がん再発の心配もなくなり、おかげさまで手術から8年経過した現在も健在です。今後は、自分自身の体も麗明堂のおすすめものと筑後産クロレラの緑の粒でしっかりと維持していきたいと思います。

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【出会えた事に感謝!! 乳がん治療の奇跡!】

MKさん 40歳代女性

子宝相談のご縁で出会い、今は「まさか」のがん相談で金丸先生にお世話になっています。

『がん』が分かってから約1年3ヵ月。私に起こった体験が何かのお役に立てればと思っています。

2018年の夏、右胸にすでにたまご程の大きさのしこり(かたまり)を見つけ、すぐに近くの病院へ行き、針生検と検査を受け、結果は「乳腺炎」。妊娠もしてないのにその診断を信じてしまったのは、春に妊娠と流産を経験したからでした。ひと先ず「良性」という結果に安心し経過をみましたが、状況は悪くなる一方で、脇の下にもしこりを感じるようになりました。

再度、リンパのしこりの検査をしましたが、結果はやはり「良性」。でも、どうしても納得がいかず、セカンドオピニオンを希望し、12月に専門の病院へ行きました。

そこで言われたのは、『ステージⅢの乳がん』で、すでにリンパに移転。

乳がんは1ミリでも見つかるのに、なぜ見過ごされてしまったのかと疑問でした。と、言いますのも、告知された時には右胸は左と比べて2倍以上に腫れあがり、変色していたからです。主治医の説明によると、私の癌は「扁平上皮癌」

乳がんでこの癌になるのは、ものすごく稀で乳腺外科の部長でも片手ほどの症例しかないと。告知されて私は受け止められず診察室で嘔吐してしまいました。

次の日、すぐに金丸先生へ電話したところ「大丈夫だよ!」と表情は見えないものの、きっと笑顔であろう声で、でも、励ましではなく確認の声で言ってくださいました。

私は昭和の人間、しかもがんの闘病の看護も経験がなく、恥ずかしながら、腫瘍=癌というのも知らなかったので、告知を受けてから「あぁ、私は死ぬんだなー」と思っていたのです。

でも、よく考えると主治医からは、病気と治療の説明はあっても命の話はなかったので、これから私の身に起きる事は「死」ではなく「生きるための治療」なのだと気づきました。

あんなに「死ぬんだ」と絶望の淵に勝手に立っていたのに、金丸先生の「大丈夫だよ!」という一言で気持ちが逆方向へ向かうのが分かりました。普通は、「闘病」という言葉を使うのですが、金丸先生と話す内に「癌と闘う」という意味では使わなくなっていくのが分かりました。

そして出会ったのが「麗明堂おすすめのもの」です。私の場合、腫瘍が大きかったので術前抗がん剤から治療が始まりました。週に1回の点滴を3回というのを4クール。その期間は毎日「麗明堂おすすめの免疫剤」を3本飲みました。

点滴の前に必ず血液検査と尿検査をするのですが、毎回、血液検査の数値が健常者と変わらないので血液検査はスキップ。

そして4クール終了して、腫瘍の大きさを測ったところ、推測(エコーの機械を遥かに超えてたので正確な数字が出なかった)8センチの腫瘍が3センチに。ステージⅢからステージⅡへと下がりました。

手術前10日から、「麗明堂おすすめのもの」を1日10本飲み、手術に挑みました。

もちろん抗がん剤の効果もあると思いますが「麗明堂おすすめのものの力がすごい!」と思ったのは、術後、摘出した腫瘍にがん細胞は見つからず、がんが「成れの果て」の状態だったことです。これには主治医の先生も驚いていました。

残念ながらリンパにがん細胞が見つかり、その後も抗がん剤治療と放射線治療が決定してしまったのですが。

術後の抗がん剤治療が4クール始まりました。

今回の薬はとても副作用が強いという説明があったのですが、もう手術もしたので「今度は麗明堂おすすめのものを飲まずに治療をしてみよう」とチャレンジしたのですが、抗がん剤の副作用に体がついていけず、すぐに「麗明堂おすすめのもの」を送ってもらいました。

今度は1日1本、治療の前1週間は1日3本。

すると次第に体調が良くなり、血液検査の結果も毎回主治医に「今日も健常者と値が変わらないよ、すごいね」と褒められるようになりました。

そして無事に術後の抗がん剤治療が終了し、放射線治療に入りました。

放射線治療で経過観察になる予定でしたが、がんのタイプで更に「再発予防」の為の投薬による抗がん剤治療6クール追加という説明がありました。

金丸先生は「治療を断るという選択肢もあるんだよ」と仰ってくださいましたが、がんに無知な私は主人と相談してその治療を受ける事にしました。

その時に心の支えになったのがやはり「麗明堂おすすめのもの」です。投薬2週間後1週間休みのサイクルだったので、ここぞとばかりに投薬前の1週間から1本飲み、予定通りに6クールで最後の抗がん剤治療を終え、今に至ります。

これが2018年12月の告知から2020年3月までの治療の日々です。

もちろんこれからも経過観察は続きますし、長い期間この病気と付き合わなければいけません。

45歳で乳がんになった私は、今年の夏47歳になります。

私の父は73歳です。

ありがたい事に今まで大病を患った事はありません。

その父に「今、がんになってよかったじゃないか。お前が羨ましいわ。これから先は健康に気を付けて長生きするやろ」を言われました。

子どもに「がんになってよかった」と言える父の凄さ。

がんが分かって落ち込む私に一番初めに夫が言ったことば。

「家族の代表で君ががんになったんだからな。代表に選ばれたからにはしっかり頑張れよ。家族や友達が代表を全力で応援するからな。ここでみんなで乗り切ったら君が大事に思っている人は誰も一生がんにはならないからな」

きっとこのことばは一生の宝物になると思います。

この1年3ヵ月、家族や友達のサポートをたくさん受けました。

これからやるべきことは分かっています!

「すべての人に恩返し」です。

私の人生の半分でがんになったと考えれば最低90歳までは元気に生きるので、これからの人生は1日1日丁寧に自分らしく生きたいと思っています。

金丸先生、れいめい堂の皆さん、そして「麗明堂おすすめのもの」に出会えた事に感謝です。

本当にありがとうございました。

これからも宜しくお願い致します。

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【乳がんの手術からの奇跡!】

YCさん 50歳代女性

 約20年程前から右胸良性のしこりのため、毎年8月にエコーとマンモグラフィー検診を受け続け、今年もいつものように受診しました。小さな石灰化らしきものが見えるということで、念のため針生検を受けました。

 以前にも2回針生検を受け「良性」という結果でしたし、全く自覚症状もなかったので、またそうだろうと軽く考えていましたが、結果は「悪性」。しかも手術とその後抗がん剤が必要なトリプルネガティブ浸潤がんと言われ、にわかには信じられませんでした。目の前が真っ暗になり何も手につきませんでした。

 3日後、とにかく金丸先生にお電話で相談しました。そこで麗明堂おすすめのものをすすめていただき、その日のうちに宅配便で送って下さいました。それから手術までの約1ヵ月、1日6~8本ずつ飲み続けました。仕事は続けていましたので、毎日ペットボトルか水筒に、6~8本分を入れて持って行き、1時間おきに少しずつ飲む方法も教えて頂きました。術前検査で、他の臓器への転移はなく、10月に右胸全的手術を受けました。

 入院中もこっそり病室に麗明堂おすすめのものを持ち込み、術後は、1日3本ずつ飲み続けました。そのせいか術後の経過は順調で、痛み止めや誘眠剤を使うこともなく、傷あともきれいでした。

 2週間後に退院し、その後麗明堂おすすめのものは1日1本飲み続け、右腕などのリハビリ、ウオーキングをしながら採った組織の病理検査結果を待ちました。通常1カ月半ほどで結果が分かるのですが、再精密検査が必要ということで、2か月半後ようやく受診連絡が来ました。

 結果は「非浸潤がん、0期」で、今後の治療は、抗がん剤、ホルモン剤、放射線治療も全てなし!!というものでした。悪性の浸潤がんではないということを証明するための再精密検査だったそうです。これは免疫剤の成果ではないかと主人とも話しました。

 この3ヵ月半の悩み、苦しみから解放された喜びは、14年前に金丸先生の子宝相談であきらめていた子宝を自然妊娠で授かり、今、中学生になる娘が生まれた時以来のものでした。今後も、生命、健康のありがたさをかみしめつつ、生きていこうと思います。

本当にありがとうございました。

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【ステージ4の咽頭がんと大腸がん】

Kさん 76歳男性

 2019年5月にステージ4の喉頭がんと診断されました。手術で声帯を全摘出しないといけなくなりましたが、糖尿、高血圧、心臓疾患を抱えており治療計画が非常に難しいとのことで、慎重に進めることになりました。まず6月上旬に動脈瘤の手術をして、6月下旬に声帯摘出手術を行いました。その後の生検でリンパに浸潤しているため放射線と抗がん剤治療をした方が良いとの判断で追加治療を10月まで行いました。

 10月に退院した時は、体重も20kg落ちて食事量も少なく足取りも弱々しくなり、見ていて大丈夫だろうかと心配ばかりしていました。

 そんな時に、知り合いから麗明堂さんの話を聞きました。とにかく父の免疫力が回復してほしい気持ちでお話を聞きに伺いました。金丸先生からたくさんのお話を聞いていくうちに、曇っていた心に明るい日差しが差してきたような感じを受けました。そして、早速麗明堂おすすめのものを買って父に飲ませることにしました。

 父は、食事もなかなか通らないうえに飲む薬の量も多く、このうえ免疫剤までは飲めない…と嫌がっていましたが、どうにか説得して1日6本飲むように約束しました。飲み始めて1か月経つ頃には食欲も出て食事もしっかりとれるようになってきました。目に見えて元気が戻ってきて、家族で安心していたのですが…。

 2020年1月、喉頭がんの前から悩まされていた痔を病院で診てもらったところ、大腸がんだとの診断でした。転移ではなく数年前からできていたようで、喉頭がんの手術と化学療法により免疫力が落ちて、その部分が悪化してしまったようでした。10月から麗明堂おすすめのものを飲んでいたおかげもあって、がん自体は質の良い方だと言われましたが、CT検査をしてみると腫瘍が大きくなりすぎており、腸の周りに癒着していて前立腺や骨盤にもがんが転移しているかもしれない最悪の状態だと診断され、愕然としました。そして、複数の診療科が設備している別の病院へ紹介されました。

 2020年2月、紹介された病院であらためてCT、MRI、大腸カメラの検査を受ける計画を立てました。この時点で、最悪の場合は前立腺も摘出しなければならず、今の父の体の状態では耐えきれないので手術すら危険だとも言われてしまい、家族ですっかり落ち込んでしまいました。そこで金丸先生にまた相談させて頂き、免疫剤を1日12本飲むことに決めました。

ところが父は1日12本も飲めない…と嫌がり、あまり飲もうとしませんでした。そこで、9本は飲んでほしい…と説得して、嫌がりながらも渋々了承し、なんとか1か月後の検査まで1日9本を飲み続けました。

そして1か月後、すべての検査が終わり、検査結果の説明を受ける日がきたのですが、そこで驚くことを耳にしました。最初の診断では、「腫瘍が大きいので腸への癒着や骨盤と前立腺に転移している危険性もあるので、その場合は先に抗がん剤と放射線治療で腫瘍を小さくして手術をしなければいけません」と言われていたのですが、なんと「腫瘍が腸に癒着しておらず、浮いている様です。触診しても腫瘍がコロコロと動くので手術前の治療の必要はありません。すぐに手術が可能です。」と言われました。信じられないくらい驚く変化でした。

 2020年4月上旬、大腸がんの手術を無事に終えて摘出した腫瘍を見せてもらいましたが、ピンポン玉くらいの大きな腫瘍でビックリしました。それなのに、根本だけ腸にくっついているだけでどこにも癒着しておらず、ピンセットでコロコロ動かせる状態で、まさに金丸先生がおっしゃった、がん細胞が浮いた状態でした。

 その後、父は2度目の大きな手術とは思えないほど、順調に回復していきました。そしていよいよ手術で摘出した腫瘍の生検結果が届き、先生から説明がありました。一時は前立腺や骨にまで転移しているかもしれないと言われた大きな腫瘍だったのですが、なんと、ステージ1との診断でした。そして周りへの転移や浸潤の危険性はないので術後の治療はしなくても良いとの事で、術後3週間での退院となりました。こんな結果が出るなんて信じられないくらい驚きと嬉しさでいっぱいでした。

 これには父も麗明堂おすすめのもののおかげだ。これを飲んでいなかったどうなっていたかわからない、これに助けられた」ととても喜んでいました。信じて飲み続けて本当に良かったと思います。家に戻ってからも大好きな焼き肉を食べたいと言う父の言葉が力強く感じ、とても嬉しいです。まだこれでがんとの闘いは終わりではなく、色々な面で気を付けながらの生活が始まります。術後の体調を整え免疫力をあげるためにも麗明堂おすすめのものを1日3本飲み続けようと父と話をしました。

 

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【まさかの乳がんからの回復】

KSさん73歳

 2018年11月 左胸に何か違和感があって病院に行って検査をしましたが、マンモグラフィも乳腺エコーも問題がないとのことで、ホッとして喜んでいました。しかし、自分の母と、母の妹をどちらも乳がんで亡くしているので、2019年6月気になって再び検査をしてみると、医師から「がんが出ているよ!」と言われてショックを受けました。がんは1.9㎝の大きさでした。普段から食べ物にも気を付けていましたので、かなりガックリと落ち込んでしまいました。でもそういえば、3ヵ月前に帯状疱疹が4ヶ所できていたので、きっと体調が悪くて、免疫が下がっていたのかもしれません。

 そこで病院の帰りに「麗明堂に行けば、何とかなる」思い、病院からの帰りに麗明堂に寄って金丸先生に相談したら、2ヵ月後(8月)の手術までに麗明堂おすすめのものを飲んだ方が、免疫の力でがんを押し出してまとめてくれることと、手術をした時にがんが飛び散らずにキレイに取れやすいとのお話を聞き、手術までは1日に2本ずつ飲むことにしました。

 8月に無事手術が終わり、15日間入院しました。その後の検査結果を待つこと1ヵ月、追加検査も行いましたが、取った後にがんは見当たらず、飛び散ってもいませんでした。

 その後、2019年12月から念のため放射線を25回受けました。甲状腺への副作用があるとのことで、医師から「のどは痛くありませんか?咳は出ませんか?」と何度も聞かれましたが、免疫剤をずっと飲んでいたおかげで、疲れも出なくて、副作用も軽くて済みました。そして、医師から「再発率はもう10%以下でしょう!」と言っていただきました。

 がんが分かった時は、もうダメだと思いましたが、金丸先生の顔を思い出して麗明堂に頼ったおかげで麗明堂おすすめのものと出会えてよかったです。今は、麗明堂の健康づくりのサプリと麗明堂の酵素を基本にして、麗明堂おすすめのものはもうしばらく1日に1本ずつ飲んでみようと思っています。本当に有難うございました。

 

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【余命半年の腎臓ガン】

Oさん 66歳男性

思いも寄らぬこと・・・

 年度はじめの4月初旬、健康診断書を提出するために、添付資料として掛かりつけの病院でレントゲンを1枚撮ってもらいました・・が、思いも及ばない結果でした。右肺の約3分の1に当たる下部が、炎症で生じた「水」に覆われていました。そのレントゲン写真を見て、「えっ・・」という絶句しかありませんでした。いつも診ていただいている医師も驚愕され、お互いの顔を見合わせた次第です。

 これまでウォーキングやジョギングが結構好きなほうで、時間があれば楽しんでいました。年齢よりも若い体力だと過信しておりました。5日後に宮崎市内の病院に検査入院しました。その結果、肺の状態の原因は、「右腎臓の癌」によることが分かりました。血液検査の結果でも主腫瘍マーカー値が正常値をかなり上回る数値でした。

余命半年と・・・

 様々な検査後に担当医からのカンファレスを受けました。結論は『現状が厳しいことと、今のままだと余命半年』という現実を伝えられました。呆然とし、これまでにない大きなショックを受けました。説明にただただうなずくしかありませんでした。その一方で、自分自身のことでないような感覚でもありました。

 担当医によれば腎臓病の場合は、皆さん方が、気づかずに過ごされるともお聞きしました。私もその一人で、痛みもなく特に身体・生理状態などに異変を感じることもなく日々過ごしておりました。入院したのちに思い返すと、時々咳が出たり、階段を駆け足で上がると以前よりも息苦しさを感じることがありました。しかし、病気とは思いもせず、年齢からくる体力の衰えが始まったという程度にしか考えられませんでした。

 入院して一週間後には、これからの治療方針のことについて担当医から色々とお聞きしました。主な処方としては化学療法を実施することでした。厳しい面があることが理解できるとともに、担当医としても改善出来るように一生懸命に取り組んでいきますと力強く言っていただき、ずいぶん気持ちも楽になり、これからの治療を主体的に前向きに取り組む思いが沸々と湧いてきました。

取り組んだこと・・・、これから・・・

 また、麗明堂さんでされていること(麗明堂のおすすめのもの、筑後産クロレラ、麗明堂の酵素、漢方、温灸など)免疫力を高めて体を守ることなどいろいろな情報を聞いて、出来ることは可能な限り実践しています。このような様々なことを取り入れた結果、入院から約一ヵ月後、まず、肺の状態が少しずつ改善されて呼吸も楽になり余分な負担を感じなくなりました。

 病院で処方していただく化学療法と併用して、退院後、「麗明堂おすすめのもの、筑後産クロレラ、麗明堂の酵素」を使い断食を2回実施しました。この断食を行った時期などが改善にとって大変良かったのではないか。

 腎臓の摘出後は、毎日体調管理を欠かさず行っています。(体温・体重・血圧・尿の色・水分補給)また、塩分の摂取量にも気をつけながら食事を摂ってます。

 これからが完治への始まりだという思いです。免疫力を上げていくために様々な免疫活性療法を取り入れて、これまでの過ごし方を見直し、再発しないように活気ある生活を生き抜きたいと思っています。

 

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【ステージ4の肺がん】

YKさん 80歳男性

 Yさん(昭和12年生まれ 80歳)が、宮崎市の健康診断で肺がんが見つかったのは、今から2年半前の9月のことでした。Yさんはそれまで、週3回のトレーニングジムに通いながら元気に過ごされていましたので、本人も家族も突然の通知にびっくりされました。

 医療機関でCTを撮ってみますと、肺の左上部に直径2cmほどのがんがあるとのこと。年齢の割には体力があるからとがんを摘出しようということで3ヵ月後に左肺の半分を摘出手術することになりました。

 執刀医から「できる限りのガンは取りました」の言葉を聞いて、ご家族の皆さんも早く見つかってよかったね!と安心されていたのですが・・・2年後の9月に肺がんの再発が見つかり、今度は前回と違い、状態は末期のステージ4ということでした。医師からは、「今度は、がんが1ヵ所ではなく小さいがんがいくつもありますので、放射線と抗がん剤で出来るだけ叩いておきましょう」と治療方針を提案され、放射線と抗がん剤を6クール行われました。

 80歳を過ぎたらがん治療でがんをやっつける前に、自分の体の兵隊さんである白血球の数がガタンと落ちてがん細胞が増えてしまう方も多いのですが、Yさんは肺がんの再発が分かった時からCK-5と笹王と免疫剤を毎日15本から20本飲まれていましたので、体力を維持したまま6クールの抗がん治療を終えて腫瘍マーカーを下げることができました。

 そして、それから2ヵ月後、医師からもう大丈夫とのお墨付きをいただいて、2年経った現在もがんの薬は全くなく、あとは自分の免疫力で悪くならないようにということで、散歩や運動をしながらおいしくご飯を食べて、周りの人がビックリするくらい、本当に元気でいらっしゃるのです。

 最初に、告知を受けた時には「何故、自分が…」と思われていたそうですが、今では一日一日を大切に80歳までこうして生きて来られたことを感謝しながら、お孫さんとの触れ合いを楽しまれていると言われていました。

 3年前、勉強会で、肺ガンの末期で入院中の方が免疫剤を1日に30本ずつ飲んでいたらみるみる体調が良くなり、2週間後にガンが消えていたという奇跡的な症例報告を聞いたので、Yさんのがんが再発した2年前に、免疫剤をご紹介したところ、毎日15本から20本飲んでいたので命が助かった!と心から喜ばれています。免疫剤は、短期的や少しの疲れの時は1日に1、2本で充分ですが、がんの治療やここぞの時には増やして飲むことで、きっとYさんのように体に奇跡を与えてくれると信じています。

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肝内胆管がん Tさん 見送った奥様より

 68歳男性

肝内胆管がんの治療をされているTさん(68歳)が、麗明堂にご夫婦でお見えになられたのは、平成31年春のことでした。

4年前に息子さん夫婦のところに無事元気な麗明堂ベビーが授かったこともあって、息子さんご夫婦のご紹介で相談に来られたのです。背が高く、スポーツマンで、スマートな方でしたので、病状と今までの治療の経緯を伺ってビックリしました。ここからは、Tさんについて奥様にお伺いました内容をそのままお伝えさせていただきます。

 「夫の発病は、平成25年5月の健康診断の時でした。その時は血管腫だろうということでしたが、ビリルビン値と腫瘍マーカーが少し上がってたのが気になり、肝臓専門へ紹介してもらってエコー検査のあと肝生検をしたところ、【肝内胆管がん】が見つかり同年7月に手術をしました。その 2年後の平成27年8月に肝門部のリンパ節にがんの転移が見つかり、2回目の手術をしました。それからまた2年後の平成29年8月に今度は膵頭部のリンパ節への転移が見つかり、別のところで1ヵ月間、陽子線治療を受けました。その翌年の平成30年4月にまたがんが再発し、もう手術を 含めた処置はできないとドクターに言われ、抗がん剤(化学療法)に切りかえることにしました。その時にドクターから「抗がん剤を1年続けた人はいない…」と言われ、夫と「来年の桜は見られ ないのか~」と覚悟を決めました。私は、5年前に58歳の妹、2ヵ月後に母を続けて亡くしました。兄もがんで亡くしていて、特に兄と妹は、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け、吐き気とだるさに辛そうだったので、同じ思いをさせたくない…と思い、これを何とかできないだろうかと考えました。副作用を抑えられれば、治療を続けながら夫の大好きなゴルフも続けられるので、抗がん剤の 副作用を抑えられる方法はないものか?と思っていた時に、息子夫婦が紹介してくれたのが、漢方の麗明堂の金丸先生でした。

 佐土原に夫婦で行って相談したら、主人に「必ず元気になりますよ!」と声をかけて下さり、麗明堂の免疫剤を毎日10本と菌糸体エキスを毎日3本ずつ飲み始めました。すると、抗がん剤を使っても髪が抜けたり、吐き気やだるさなどの副作用が全く出てこないのでビックリしました。本当に副作用がないんです。そのおかげで、夫は抗がん剤の治療をしながら、趣味のゴルフでコースを年間に150回近く行って楽しむことができました。

麗明堂の免疫剤菌糸体エキスを飲み始めてからは、髪の毛が抜けないし、抜けるどころか黒髪が増えてきてビックリしました。夫はゴルフから帰ってきても体がきつくないと言うので、本当にすごい効き目なんだと実感しています。

 平成30年4月のがんの再発のときに、ドクターから1年は持たないよと言われた夫の命でしたが、それから2年半も抗がん剤をしながら好きなゴルフをして元気に過ごせて、最後は自宅で子どもや孫たちに囲まれながら看取ることができたのでよかったと思います。最後まで痛がることもなく、苦しがることもなく息を引き取りましたので、苦しまずに見送れたことを感謝しています。肝内胆管がんと最初に言われてから7年間、後悔がなく、精いっぱいやり切ったという思いです。

 抗がん剤が始まる時に「副作用を抑えることができれば・・・」というのが一番の目的でしたので、それができて本当に良かったと思っています。ありがとうございました。」

 Tさんのご逝去の連絡をいただきましたので、私は通夜に伺ってTさんとの最後のお別れをさせていただきました。Tさんは、10日後がお誕生日でしたので、お誕生日プレゼントのおしゃれなゴルフウェアを召されて、最愛の奥様をはじめ、お子様、お孫様に囲まれて、心のこもったとても素敵なお別れに参列させていただきました。

 私たちは、命がある以上、必ず死を迎えるときがやってきます。その時に出来ることなら苦しまずに、元気でいつも通りの生活ができたら最高で、きっと皆さんの一番の願いだと思います。そのお手伝いを一人でも多くの方にご提案し、喜んでいただけるための応援・サポートをしっかりさせていただきます。

お客様からうれしいお声

「免疫剤と漢方のお陰で、腫瘍マーカーが下がってきました。」SKさん 71歳 膵臓がん

「免疫剤と漢方のお陰で、腫瘍マーカーが下がってきました。」

SKさん 71歳 膵臓がん

私の膵臓がんが見つかったのは、令和4年11月のことでした。

よくお腹が張ったり、痛くなったり、便秘になるので、地元の病院に通い、その都度、胃の痛み止めや便秘薬を処方してもらっていました。気になって、ここ3~4年は胃と大腸の検査を受けましたが、その度「きれいですよ~」と言われるので、安心していました。

しかし、いつまでも症状が改善されないので、私のほうから「何か検査をしてください!!」とお願いしましたらCTを撮ってくれました。すると、膵臓が大きくはれているので、うちでは対応できないと大病院を紹介されました。その時、医師が「膵炎かなぁー」と言いましたので、私は「膵臓がんではないですか?」と聞き返しました。その後、大病院で検査をしたら膵臓がんでした。

私の膵臓がんの状態は、冠動脈と冠静脈をがんが取り巻いていたので、「手術ができるレベルではなく、治療は化学療法しかないです。」と言われました。

治すには手術しかないけど、手術はできないので、抗がん剤(化学療法)による延命治療しかないとのことでした。「私の命はあとどの位ですか?」と医師に尋ねましたら、「薬が効いて1年、薬が効かなければ3~5ヵ月」と言われて、とてもショックを受けました。その後、気持ちを落ち着かせるのに1~2週間かかりました。

抗がん剤をするために入院する前に、次男の嫁から「お母さんは大変だから、相談しなくて麗明堂に直接予約を入れたから…」と言われて、親子4人で初めて来店しました。その時は、藁にもすがる思いで金丸先生のお話を聞いて、1日でも長く元気でいたいな~と思いました。

その日から、麗明堂おすすめの免疫剤漢方笹王を飲み始めて、毎日患部に温灸を続けました。そして、あと残り少ない人生を、ちょっとでも楽しく過ごしたいと思って、ガーデニングを集中して楽しみました。ガーデニングを一生懸命やっている時は、不思議と病気のことを忘れてしまうのです。最初は、お正月まで生きているのかなと思いましたが、植物の芽が出る姿を見て、私も頑張ろう!!と植物から元気がもらえました。お天気が良ければ、一日中でも外にいました。「私にとっては、花が薬だから」と言って、宮崎市内の花屋さんに週に2~3回通いました。昨年植えたのが春先に芽を出せば元気をもらえるし、新しい種類のお花があれば植えて増やしたり、家庭菜園の野菜作りも楽しみました。主人と一緒に買い物に行ったり、普通のことをしていたいな~と思いました。

すると2022年11月に200台で、12月に300台だった腫瘍マーカーが、1月は1602月は1503月は954月は565月は426月は427月は45と段々と数字が下がり(基準値37.0U/ml以下)、落ち着いてきました。ここまで順調に下がって良くなっていきましたので、あれだけ気になっていた腫瘍マーカーの数字をあまり気にしなくなってきました。3ヵ月毎の造影検査は、まだ少しドキドキしますが、血液検査の数値は月に1回見るくらいにしました。

そして、医師から「転移はないよ」と言われました。きっと麗明堂おすすめの免疫剤や漢方が効いているのだろうとすぐに思いました。

まだ、「明日、目が覚めるかな~」「普通の生活がいつまでできるのかなぁ」と不安がよぎることもありますが、一応私は余命宣告されましたので、残された日を少しでも楽しく、一日一日を過ごしたいと思っています

梅の時期を迎えたときに、今年は梅を漬けれるかなと思って梅を5kg買ってきましたが、だいぶ体力が戻ってきていけそうな気がして、結局例年通り20kgの梅を漬けました。息子たちが「梅干ちょうだい!」と言って持って行きますし、喜んでくれる友達にもあげますし、梅干が美味しいと言ってもらえると嬉しいので、元気になってこれからも毎年梅干を作り続けたいと思います。

「麗明堂おすすめの免疫剤」に出会えた事に感謝!!乳がん治療の奇跡!

【「麗明堂おすすめの免疫剤」に出会えた事に感謝!!乳がん治療の奇跡!】

Mさん 40歳代女性

子宝相談のご縁で出会い、今は「まさか」のがん相談で金丸先生にお世話になっています。

『がん』が分かってから約1年3ヵ月。私に起こった体験が何かのお役に立てればと思っています。

2018年の夏、右胸にすでにたまご程の大きさのしこり(かたまり)を見つけ、すぐに近くの病院へ行き、針生検と検査を受け、結果は「乳腺炎」。妊娠もしてないのにその診断を信じてしまったのは、春に妊娠と流産を経験したからでした。ひと先ず「良性」という結果に安心し経過をみましたが、状況は悪くなる一方で、脇の下にもしこりを感じるようになりました。

再度、リンパのしこりの検査をしましたが、結果はやはり「良性」。でも、どうしても納得がいかず、セカンドオピニオンを希望し、12月に専門の病院へ行きました。

そこで言われたのは、『ステージⅢの乳がん』で、すでにリンパに移転。

乳がんは1ミリでも見つかるのに、なぜ見過ごされてしまったのかと疑問でした。と、言いますのも、告知された時には右胸は左と比べて2倍以上に腫れあがり、変色していたからです。主治医の説明によると、私の癌は「扁平上皮癌」

乳がんでこの癌になるのは、ものすごく稀で乳腺外科の部長でも片手ほどの症例しかないと。告知されて私は受け止められず診察室で嘔吐してしまいました。

次の日、すぐに金丸先生へ電話したところ「大丈夫だよ!」と表情は見えないものの、きっと笑顔であろう声で、でも、励ましではなく確認の声で言ってくださいました。

私は昭和の人間、しかもがんの闘病の看護も経験がなく、恥ずかしながら、腫瘍=癌というのも知らなかったので、告知を受けてから「あぁ、私は死ぬんだなー」と思っていたのです。

でも、よく考えると主治医からは、病気と治療の説明はあっても命の話はなかったので、これから私の身に起きる事は「死」ではなく「生きるための治療」なのだと気づきました。

あんなに「死ぬんだ」と絶望の淵に勝手に立っていたのに、金丸先生の「大丈夫だよ!」という一言で気持ちが逆方向へ向かうのが分かりました。普通は、「闘病」という言葉を使うのですが、金丸先生と話す内に「癌と闘う」という意味では使わなくなっていくのが分かりました。

そして出会ったのが「麗明堂おすすめの免疫剤」です。私の場合、腫瘍が大きかったので術前抗がん剤から治療が始まりました。週に1回の点滴を3回というのを4クール。その期間は毎日「麗明堂おすすめの免疫剤」を3本飲みました。

点滴の前に必ず血液検査と尿検査をするのですが、毎回、血液検査の数値が健常者と変わらないので血液検査はスキップ。

そして4クール終了して、腫瘍の大きさを測ったところ、推測(エコーの機械を遥かに超えてたので正確な数字が出なかった)8センチの腫瘍が3センチに。ステージⅢからステージⅡへと下がりました。

手術前10日から、「麗明堂おすすめの免疫剤」を1日10本飲み、手術に挑みました。

もちろん抗がん剤の効果もあると思いますが「麗明堂おすすめの免疫剤の力がすごい!」と思ったのは、術後、摘出した腫瘍にがん細胞は見つからず、がんが「成れの果て」の状態だったことです。これには主治医の先生も驚いていました。

残念ながらリンパにがん細胞が見つかり、その後も抗がん剤治療と放射線治療が決定してしまったのですが。

術後の抗がん剤治療が4クール始まりました。

今回の薬はとても副作用が強いという説明があったのですが、もう手術もしたので「今度は麗明堂おすすめの免疫剤を飲まずに治療をしてみよう」とチャレンジしたのですが、抗がん剤の副作用に体がついていけず、すぐに「麗明堂おすすめの免疫剤」を送ってもらいました。

今度は1日1本、治療の前1週間は1日3本。

すると次第に体調が良くなり、血液検査の結果も毎回主治医に「今日も健常者と値が変わらないよ、すごいね」と褒められるようになりました。

そして無事に術後の抗がん剤治療が終了し、放射線治療に入りました。

放射線治療で経過観察になる予定でしたが、がんのタイプで更に「再発予防」の為の投薬による抗がん剤治療6クール追加という説明がありました。

金丸先生は「治療を断るという選択肢もあるんだよ」と仰ってくださいましたが、がんに無知な私は主人と相談してその治療を受ける事にしました。

その時に心の支えになったのがやはり「麗明堂おすすめの免疫剤」です。投薬2週間後1週間休みのサイクルだったので、ここぞとばかりに投薬前の1週間から1本飲み、予定通りに6クールで最後の抗がん剤治療を終え、今に至ります。

これが2018年12月の告知から2020年3月までの治療の日々です。

もちろんこれからも経過観察は続きますし、長い期間この病気と付き合わなければいけません。

45歳で乳がんになった私は、今年の夏47歳になります。

私の父は73歳です。

ありがたい事に今まで大病を患った事はありません。

その父に「今、がんになってよかったじゃないか。お前が羨ましいわ。これから先は健康に気を付けて長生きするやろ」を言われました。

子どもに「がんになってよかった」と言える父の凄さ。

がんが分かって落ち込む私に一番初めに夫が言ったことば。

「家族の代表で君ががんになったんだからな。代表に選ばれたからにはしっかり頑張れよ。家族や友達が代表を全力で応援するからな。ここでみんなで乗り切ったら君が大事に思っている人は誰も一生がんにはならないからな」

きっとこのことばは一生の宝物になると思います。

この1年3ヵ月、家族や友達のサポートをたくさん受けました。

これからやるべきことは分かっています!

「すべての人に恩返し」です。

私の人生の半分でがんになったと考えれば最低90歳までは元気に生きるので、これからの人生は1日1日丁寧に自分らしく生きたいと思っています。

金丸先生、れいめい堂の皆さん、そして「麗明堂おすすめの免疫剤」に出会えた事に感謝です。

本当にありがとうございました。

これからも宜しくお願い致します。

【乳がんの手術からの奇跡!】

 【乳がんの手術からの奇跡!】

Yさん 50歳代女性

 約20年程前から右胸良性のしこりのため、毎年8月にエコーとマンモグラフィー検診を受け続け、今年もいつものように受診しました。小さな石灰化らしきものが見えるということで、念のため針生検を受けました。

 以前にも2回針生検を受け「良性」という結果でしたし、全く自覚症状もなかったので、またそうだろうと軽く考えていましたが、結果は「悪性」。しかも手術とその後抗がん剤が必要なトリプルネガティブ浸潤がんと言われ、にわかには信じられませんでした。目の前が真っ暗になり何も手につきませんでした。

 3日後、とにかく金丸先生にお電話で相談しました。そこで麗明堂おすすめの免疫剤をすすめていただき、その日のうちに宅配便で送って下さいました。それから手術までの約1ヵ月、1日6~8本ずつ飲み続けました。仕事は続けていましたので、毎日ペットボトルか水筒に、6~8本分を入れて持って行き、1時間おきに少しずつ飲む方法も教えて頂きました。術前検査で、他の臓器への転移はなく、10月に右胸全的手術を受けました。

 入院中もこっそり病室に免疫剤を持ち込み、術後は、1日3本ずつ飲み続けました。そのせいか術後の経過は順調で、痛み止めや誘眠剤を使うこともなく、傷あともきれいでした。

 2週間後に退院し、その後免疫剤は1日1本飲み続け、右腕などのリハビリ、ウオーキングをしながら採った組織の病理検査結果を待ちました。通常1カ月半ほどで結果が分かるのですが、再精密検査が必要ということで、2か月半後ようやく受診連絡が来ました。

 結果は「非浸潤がん、0期」で、今後の治療は、抗がん剤、ホルモン剤、放射線治療も全てなし!!というものでした。悪性の浸潤がんではないということを証明するための再精密検査だったそうです。これは免疫剤の成果ではないかと主人とも話しました。

 この3ヵ月半の悩み、苦しみから解放された喜びは、14年前に金丸先生の子宝相談であきらめていた子宝を自然妊娠で授かり、今、中学生になる娘が生まれた時以来のものでした。今後も、生命、健康のありがたさをかみしめつつ、生きていこうと思います。

本当にありがとうございました。

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