「ただ在る」という空白の大切さとは?
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、3月12日付「中日新聞の視座」の中で、関西学院大学准教授の貴戸理恵さんが書かれた『‟ただ在る” ことの大切さ』の記事について、とても興味深く読ませていただきました。
少し長いかもしれませんが、今の時代を生きる中でとても考えさせられる内容でしたのでご覧くださいね!
子供・若者の生活に、さまざまなことをする『ための』場所が増えている。
一つの例は、主に共働き・ひとり親の家庭の子どもが生活する保育園や学童保育だ。もともと「勤務中の保育の確保」という親のニーズから始まり、「親のいない昼間、子供が無事に生活する」だけで意味があった。
ところが近年では、市場化の流れにより、「指導員が英語で話しかける」など付加価値をアピールするものが増えている。そこでは親たちは、単に「欠けた保育を補う」にとどまらず、習い事という積極的な意味を見いだすことができる。他方、子供にとっては、ただ生活するだけでなく、何かを身に付ける「ための」場所となる。
もう一つの例を挙げれば、私の勤務先でもある大学だ。授業では飽き足らず「もっと学びたい」という学生のために「課外の学びの場」が用意されている。留学やボランティア活動、さまざまな資格取得などのサポートも充実している。何かやりたいと思えば、その「ための」受け皿は多様にある。一方で、「何かしなければ」という焦燥感に、学生たちはさらされているように見える。
選択肢が増えること自体は、望ましい。先に挙げたような選択肢は、ひと昔前にはなかった。保育施設は「プラスを生み出す場」ではなく「マイナスを補う場」であったし、大学はあくまで学問をする場であってそれ以外は関知しないというスタンスだった。利用者の多様なニーズをくみ取る近年の状況は、だから、ある種の利用者にとっては望ましいはずだ。
だが、「何かのためにする」ことばかりが称揚されて、「ただ在る」ことがその価値をおとしめられるなら、息苦しくはないか。
子ども・若者には「何の目的もなくただそこに居て、話に耳を傾けてもらい、目的や能力にかかわらず存在を認めてもらう」場所が必要だ。なぜなら、多くの子ども・若者は「私はこれがしたい」という目的・ニーズを、あらかじめはっきり持っているわけではないからだ。そして、そのような個人の目的・ニーズは、「ただ在る」場や、関係の中で、ふとしたきっかけや偶然の積み重ねによって、形成されていくものだからだ。
大人たちに思い返してみてもらいたい。自分のこれまでの人生は、もともとの目的や計画にどの程度沿ったものだっただろうか?偶然の出会いや気付きによって、思わぬ方向に目的が変わったことも、少なくなかったのではないか? 明確な目的を持って人生に取り組むことも大切だが、「ただ在る」という目的の「空白」も、同じくらいかそれ以上に大切だ。
しかし、「ただ在る」ことの重要性は認められなくなってきている。例えば、学校の保健室はこれまで「保健室登校」という言葉があるように、不登校の子どもでも行ける学校の中で唯一「ただ在る」ことが認められる空間だった。しかし近年では「病気ではないなら、居てはだめ」と、目的外利用を規制する学校も少なくない。これでは、生きづらさを感じる若い人の一つの居場所を奪ってしまう。
常に何かの「ため」に動いている状況は、疲れる。効率や便利さばかり求めるのではなく、「ただ在る」ことの意義をもう一度見つめなおしたい。
私は、この文章を読んで、親が、家庭が、会社が、学校が、そして日本全体が効率や便利さばかりを求めた結果、いろいろな余裕がなくなってきたように思います。
時間内でいかに収益を上げるか… という効率や、時間と手間を掛けなくてもよいという便利さが、すべていいこと(○)ではなく、長い目で見た場合はあまりよくないこと(△や×)になることも考えて生活していくことの大切さを教えていただいたように思います。
とても長文でしたが、最後まで読んでいただき感謝申し上げます。
このブログをご覧頂いて皆様のもとに、大きな大きな喜びとたくさんの幸せが訪れますように…
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