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2015年4月のコラム

公開日:2015年04月02日 カテゴリー:2015年

東日本大震災が起こった年末に、台湾の新聞社が「今年一年で、あなたにとって一番の幸せはなんでしたか」というアンケートをとりました。一位になった答えは、何と「日本への義援金が世界一になったこと」だったそうです。なぜ台湾から多大な支援が寄せられたのかというと…1895年から1945年までのおよそ50年間、日本は台湾を統治していましたが、
それ以前の台湾は、教育制度が発達しておらず、治安は極めて悪く、農業の生産性も低く貧しい国だったそうです。
 そこに日本人がやってきて、学校を建設して教育を施し、警察制度を整えて治安を安定させ、さらにインフラを整備して農業の生産性を飛躍的に引き上げました。そして、台湾は農作物を海外に輸出して得た外資を源として工業化に成功しました。ですから台湾には、今台湾が先進国でいられるのは、日本の統治があったからだと理解している方がとても多く、その恩に報いたいという思いが多大な支援につながったそうなのです。
 台湾における日本の教育施政の象徴であり「六士先生」と呼ばれ今なお尊敬されている6人の日本人教師のお墓が、台北郊外の芝山巌(しざんがん)にあります。日本の台湾統治が始まった頃は台湾人の日本に対する感情は決して良くなく、抗日運動が繰り返し起こりました。それでもこの芝山巌の小学校に日本から派遣された教師たちは、「たとえ自分たちが襲われて命をなくしても、日本人が台湾における教育に情熱を傾けていたという思いは残せる」と言って教育を続けます。
 しかし、1896年の元日に抗日ゲリラに襲われて、全員が命を落としました。その6人の教師の思いが台湾の人たちの心を動かし、現在でもこの「教育の聖地」ではボランティアの人たちによる清掃が続けられ、献花が絶えることがありません。
 終戦から70年が経った今でも台湾には「リップンチェンシン(日本精神)」という言葉が残っています。勤勉で誠実で親切で責任感があって、自分の仕事に誇りを持っている。
さらに、自分さえよければ今さえよければと思うのではなく、みんなのことや次の世代のことを考えられる人のことを「リップンチェンシン」と呼ぶそうです。その象徴が今から100年前に日本から渡った六士先生なのです。台湾の人たちが言われて一番嬉しいほめ言葉は、「あなたはリップンチェンシンがある」だそうです。私たちは、台湾の人たちと手を携えて、この精神のタスキを次の世代に渡さなければいけないと強く思います。

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