心に残る話
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ25年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
非常事態宣言の中、なかなか日常の生活には戻れませんが、今自分にできることは何なのか?今皆さんに喜ばれることは何なのか?を考えながら毎日を過ごしています。
私が毎月楽しみに読んでいる月刊誌「れいろう」に、我が宮崎県出身の有名パティシエ津曲さんの記事があり、読ませていただきました。
素晴らしいご活躍は知っていましたが、子どもの頃にご苦労されていたことは初めて知りました。私たちの今置かれている苦難を乗り越えていくための心の持ち方として、とても為になると思い、ご紹介させていただきます。
ケーキハウスツマガリ 津曲 孝さん
昭和25年、宮崎県生まれ。中学校卒業後に上京。洋菓子店勤務を経て62年に独立し、兵庫県西宮市に「ケーキハウス ツマガリ」を開店。
おばあさんからの最終命令
私は家庭の事情で高校には進学できず、十五歳で社会に出ました。
小学6年生の時、両親が突然いなくなりました。両親のことは今でも尊敬していますし、感謝していますが、残された家族は大変でした。子供は私の他に、2歳上の兄と二人の弟、そして病気で寝たきりのおじいさんと、七十代のおばあさん。借金を返済するために田畑を売ってしまいましたので、収入もなく、借金だけが増えていきました。家の米びつにはいつも米が入っておらず、その時に何度もおばあさんが泣きながらつぶやいていた言葉が、「幾千万の敵が来ようとも絶対に負けん」でした。
卑屈にならずに済んだのは、おばあさんのおかげです。勉強も運動も不得意で、徒競走はいつもビリだった私に、おばあさんは「回れ右をしたら一番だ」と言って褒めてくれたのです。
中学校を卒業し、上京するときのことです。故郷の串間駅で汽車に乗る際、おばあさんから言われた言葉が、私の人生を方向づけました。「どんな仕事に就いても、一所懸命にやりなさい」「行った先では、人に好かれないといけないよ」「女の人は大事にしなさい」そして最後に「頑張って、頑張って、お金を送ってこい」と言いました。これが、おばあさんからの最終命令です。
この命令は、いまだに解けていません。おばあさんが命令を解く前に亡くなってしまったので、私にとって、生涯「命令解除」はないのです。これからもこの教えを守りつつ、故郷の串間にお返しをしなければならないという思いが、私の心に根づいています。
同級生の間では、いつもビリだった私。それでもおばあさんに目標を与えてもらったおかげで、社会に出てから一心不乱に頑張り続けることができました。そして天職と出合い、「美味しいお菓子をつくって人様に喜んでいただきたい」という一心で、さらに努力を重ねてきたのです。
「忍耐力」という、人間にとって最も大事な才能を引き出してくれた、おばあさんの言葉。それは間違いなく、私の人生の礎になっています。
~ブログランキングに参加しています!~
今日の記事を気に入って頂けたら、バナーをタッチ していただけると有難いです!皆さんのご愛読、ご支援に感謝いたします。
コメントを残す