2006年12月のコラム
日本の漢字は本当によく考えて作られているな~と感じることが、最近よくあります。
先日思ったのは、憂いの『憂』という字です。もともと「憂う」は【心配する、悲しむ】という意味を持っています。
そして、人に対して憂うことが出来る人を「やさしい」と言い、左側ににんべん(人)を加えて『優しい』という字を書きます。
また、漢字は同じ字でも他の読み方で読める字もあります。
先程の『優』の場合は、「やさしい」の他にもう一つ「すぐれる」と読むことも出来ます。優れるは【才能や価値が普通よりもずば抜けた状態】という意味を持っています。優勝旗や優勝杯の時にも使われる「すぐれる」の意味の『優』が、どうしてあまり似通った意味とも思えない「やさしい」と同じ字を使うのか?と私は思うのですが、皆さんはどうでしょうか?
ここからは私の予想なのですが...
「すぐれる」という漢字には『優れる』の他にもう一つ『勝れる』という字もあるんだけれども、漢字の読み方を決める会議があった時に、ある人が勝負事に勝てる人は確かに勝れた人ではあるが、才能や価値が普通よりもずば抜けて素晴らしい人には、相手のことを憂う(心配したり、悲しんだりする)気持ちの持てる心豊かで優しい人であって欲しい!という願いを込めて『優』の字も「すぐれる」と読めるようにしたのではないか・・・と思うのです。
日本の漢字は本当に意味のある素晴らしい字だと思います。
たまには普段何気なく使っている漢字の意味や成り立ちについて考えてみては如何でしょうか?
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