歴史を学び 未来につなげる② 河合敦さん
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、昨日の続きで、河合敦さんの『歴史を学び、未来につなげる』の第2回をご紹介します。
歴史家・作家
河合 敦さん
昭和40年(1965)、東京生まれ。青山学院大学文学部史学科を卒業、早稲田大学大学院博士課程満期退学。平成元年から都内の養護学校や高校に勤務のかたわら、作家として活動。28年に教職を退職後は、高校教師27年の経験を生かし、講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説している。現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。『もうすぐ変わる日本史の教科書』(KAWADE夢文庫)、『異説で読み解く明治維新』(イースト・プレス)、『窮鼠の一矢』(新泉社)など多数。
不満は成長の糧になる
記者) ご自身はどのような教師だったのですか?
河合さん) 僕は日本史の教員として採用されたのですが、赴任先は知的障害を持ったお子さんたちを教える養護学校でした。
それ自体はとても勉強になりましたが、当時はずっともやもやした感じでいました。というのは、教える内容が「あいうえお」であったり、一緒に畑を耕す作業学習をしたり。日本史がまったく教えられないわけですから、鬱屈した思いがありました。
養護学校に3年勤めた後に赴任したのが定時制高校です。
定時制の生徒はあまり勉強に熱心でないことも多く、授業がつまらないと寝たり、マンガを読みだしたり、出ていってしまう生徒もいて大変でした。
そういう生徒を引き留めて、どう面白い授業をしていくか。それはもう悩みましたね。土器を持ってきてパフォーマンスをしてみたり、いかに面白い話をするかということに力を注ぎました。
今では講演やテレビなどで説明が分かりやすいと言っていただくこともあるのですが、振り返ると、当時の経験が生きているのではないかと思います。
記者) そこから、どのように歴史作家として活躍の場を広げていったのですか?
河合さん) 養護学校に勤務していたとき、生徒とよく散策する周辺にお城があって、その歴史を研究してみようと思いました。
日本史を教えられない不満をそのままにしておくのではなく、歴史研究に力を入れようと。その研究が『歴史読本』という雑誌で評価され、賞をいただきました。その後、歴史家の加来耕三先生と知り合い、企画の出し方や作家のあり方等を教わったんです。加来先生の消化で僕が執筆した『早わかり日本史』という本がたいへん話題になり、そこから道が開けました。
その後、いろんなジャンルの歴史の本を出すうちに、日本テレビ系列の『世界一受けたい授業』からお声がけをいただき、テレビに出演するようになりました。
記者) 今の仕事の原動力はなんですか?
河合さん) 原動力は鬱屈する思いです。
高校教師になりたてのころは“本を出したい”と思っていたのに全然ダメ。書ける自信があるのに書かせてもらえない。もっと専門的な内容を、まじめに聞いてくれる生徒に教えたいと思っていたのに叶わなかった。
それが今ではできています。本当にありがたいですし、やるぞという気持ちでやっています。不満って、人間の原動力なんじゃないかと思いますね。
麗明堂の子宝専用HPは
https://www.reimeido.com/ をクリックしてください。
~ブログランキングに参加しています!~
今日の記事を気に入って頂けたら、こちら ← か、下のバナーをタッチ していただけると有難いです!皆さんのご愛読、ご支援に感謝いたします。
私が今月、パソコンから24時間いつでも聞けるインターネットラジオで、『自分の人生にステキな魔法をかけてみませんか?』についてお話しています。ぜひ、お聴き下さいね!
http://www.omoraji.com/reimei.shtml
蒲公英T-1エキスについての詳しい情報は
「コープみやざき佐土原店」内
T E L (0985)72-2368 F A X:(0985)73-7313
https://reimeido.com
コメントを残す