「米と日本人」宮田修さん
皆さん こんにちは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、千葉でのカウンセラー研修の二日目です。昨日の午後の研修から、また新たな発見や視点をいただいて、自分の成長のために学んでいます。
ここに来て、改めて思うことは、人はいくつになっても、学べば学ぶほど成長することが出来るということです。「もう自分は、これ以上成長しない!」とか、「もうこれでいい!」と思ったら、その人はもうそこから変わりませんし、いくつになっても、ベテランになっても、新鮮な気持ちで真摯に学んでいけば、成長した新しい自分を作ることが出来るのです。
今回、学んでいる内容については、また後日紹介したいと思います。
さて、今日は元NHKアナウンサーの宮田修さんの『米と日本人』についてご紹介したいと思います。
元NHKアナウンサー 宮田 修さん (生命尊重ニュース2018 9月号より)
今年も米の収穫期を迎えた。田んぼ一面が黄金色に染まる風景は、日本人にとってかけがえのないものであろう。
実は、私の家の庭の米も収穫の秋を迎えている。と言っても、わずかに6株だけである。農家の友人に「一粒のお米から何粒くらいできますかね?」と質問をした。友人はそれなら苗をあげるので栽培したらどうですかと、小さな苗をもらったのだ。
使わなくなった甕と火鉢を持ち出し、土とほんの少量の肥料、たっぷりの水で栽培を始めたのだ。どんどん大きくなる。一本だった茎は次々に増え、多いものでは30本程に増えている。7月に入ると、間もなく穂が出始めた。ひ弱な苗は、今や立派な苗に成長したのだ。我が家も間もなく収穫、果たして何粒のお米ができているか、楽しみにしている。
日本史の教科書によれば、日本人が米を作り始めたのは、縄文時代末期だそうだ。紀元前4世紀頃には灌漑用(かんがいよう)の水路を伴う水田も作られ、九州から東北まで稲作が広がっていったという。弥生時代を迎えたのだ。以来、米は日本人の主食として大切にされてきた。米を食べることによって日本人は命を繋ぎ、人口が急激に増えたと言われている。食糧が安定的に手に入るようになったことで命を繋ぎやすくなったのだろう。そんな昔のことは、現代の我々には関係ないと言われるかも知れないが、その時、いのちの数が増えなかったら、今を生きる我々はいなかったかもしれないのだ。
稲作によって、日本の社会は急速に変化していった。人口が増えることによって数多くの村が形作られるようになり、交流や争いも起こるようになった。米は〝富″の象徴でもあった。米を沢山持っている人とそうではない人との間に支配者と被支配者の関係が生まれ、やがて日本は統一国家になるのである。そうした伝統は、後の武家社会では、武士の規模に〝石高(こくだか)″が使われ、殿様からもらう米の量によって、その人の地位も表したのである。米は、日本人にとってかけがえのない主食であり続け、社会の中心をなすものであったのだ。
このような歴史を持つ我々は、もっともっと米を大切にすべきなのではないだろうか。勿論、米以外のものを食べてはいけないなどと言うつもりはない。現代の豊かな食生活を素晴らしいと感じている一人である。
間もなく今年の新米が食卓に上るはずである。その時、〝米と日本人″に少しだけ思いを馳せてほしいと思う。
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