感動!人は愛でしか変わらない④「ただ生きているだけでいい」香葉村真由美さん
皆さん こんにちは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
香葉村真由美さんのお話の最終回です。真由美さん自身が、苦しんで苦しんで、そして大きく変わられた経緯を生々しく、正直に、誠実にお話されています。
特に今日のお話は、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。
~子どもたちの光る声を伝えて~
香葉村真由美さん(かばむら まゆみ)
今年3月まで福岡県内の小学校に勤務していた。地元博多を拠点としたボランティア団体で精力的に活動。2008年三重県で行われた「第1回先生見本市」(現在の「あこがれ先生プロジェクト」で講師を務めたことをきっかけに、全国各地から講演依頼を受けるようになる。命がけで生徒と向き合ってきた実体験から語られる講演は、沢山の感動、涙、勇気、そして笑顔を生んでいる。著書に『子どもたちの光るこえ』(センジュ出版)、出演映画に『いのちのまつり―地球が教室―』がある。
さやかが教えてくれてた命の尊さ
私は、始めから命の大切さを伝えられるような教師ではありませんでした。
私は先生になりたくてなりましたが、上から子供たちを見ていて、先生の言う通りにすれば良い子、言う通りにしない子は悪い子、いけないことをする子はダメな子、と決めつけていたように思います。
けれども、ある一人の少女が、「それは違うよ」と教えてくれます。さやかは3、年生の時、私が初めて担任をした女の子です。大きくなって大阪に働きに出ましたが、そのさやかが突然訪ねてきたのです。
喫茶店で目の前に座った時、彼女が痩せていることに気づき、左手首の傷を見つけました。彼女はハッとして手を隠しましたが、しばらく悩んで、思い切って両腕を見せてくれたのです。そこには縦横にも何本も、丸く大きくえぐられたリストカットの跡がありました。「何しているの?命は一つしかないのに」さやかは、自分の人生を話してくれました。大阪に働きに出て一生懸命働いたこと、大好きな人ができ一緒に暮らし始めたこと、赤ちゃんができて嬉しかったこと、でもそれを告げたら彼がいなくなったこと、たった一人で福岡に戻って、周りから反対され赤ちゃんを堕ろしたこと。彼女はどうしても許せなくて、自分で自分を傷つけ始めました。
でも、そんな彼女を支えてくれる〝お兄ちゃん″がいました。リストカットをした後、お兄ちゃんに電話すると、お兄ちゃんはすぐに来て、「頑張って生きるんだ」と支えてくれたそうです。その日も彼女は、リストカットをしてお兄ちゃんを呼びました。けれども、お兄ちゃんは朝になっても来なかったそうです。翌日、さやかは、お兄ちゃんがさやかの家に向かう途中、ダンプカーに轢かれて亡くなったことを知りました。「私と関わっている人がみんな不幸になっていく」と、彼女は、もらった睡眠薬を集めて飲むようになりました。そんな時、私に会いに来たのです。
私は、さやかの悩みを聞いた悲しみ、悔しさをぶつけました。「何やってるの、さやか!頑張って生きるのよ!」「わかってるよ、先生」そして最後に私はもう一度さやかに「頑張るのよ」と伝えたのです。
けれども、2,3日して、私のもとに届いたのは、さやかが亡くなったという手紙でした。さやかは、自分の家の近所のネットカフェで、薬をたくさん飲んで、たった一人で亡くなっていまいた。店員さんが見つけたとき、さやかは既に冷たくなっていたそうです。彼女の家に行くと、お母さんが走ってこられ、「先生、さやかと何を話したんですか。さやかが最後に会ったのは先生だったんですよ」と言われました。私は最後に「頑張らなきゃダメじゃない!」と言ったのです。
その時、私には、初めてさやかが私の所にそんなことを聞きにやってきたのではないことが分かりました。たくさんの薬を飲んで、何回も救急車で運ばれても、リストカットをしても、こんなにボロボロになっても、それでも生きてきた自分を「よく頑張って生きてきたね」と、褒めてもらいたかったに違いありません。けれども私は、彼女の問題行動にばかり目をやり、彼女の心が何を望んでいたのか、全く見ようとしない教師でした。私は彼女の腕の傷は見たけれど、心の傷を見ようとしなかったのです。それから私は、全ての自信を無くし、転がり落ちるように心の病気になっていきました。
ただ生きているだけでいい
私は、繋がるはずのないさやかの携帯に電話して、「どこにいるの?」と叫んだり、夜中にさやかが亡くなったカフェに行き、さやかを探し回りました。クラスで授業をしていても、一人の私が「人の気持ちを考えなさい」と言い、もう一人の私が「じゃあお前は人の気持ちを考えたのか?」と。一人の私が「人を傷つけてはいけません」と言うけれど、もう一人の私は、「じゃあお前は人を傷つけたりはしなかったのか?」と耳元で囁くのです。心身ともにボロボロになり、母と約束したいつも笑っている教師ではいられなくなり、夏休みにはとうとう起き上がることもできなくなりました。家中のカーテンを閉め、誰とも会わない生活が始まりました。世の中から色がなくなり、その頃の私は、「愛」「光」「希望」、そんな言葉が大嫌いでした。
ベッドの上で笑いもせず、誰ともしゃべらない私のもとに、毎日やって来るのは、娘でした。毎日、私の所に来て、「お母さん、今日は空が晴れてるから一緒に見よう」「今日は美味しい物を食べよう」と話しかけてきましたが、私は返事もしませんでした。申し訳ないけれど、私はこの時期娘たちが何を食べ、どんな風に生きていたのか、まったく覚えていません。私は、もう再び教壇に立てないだろう。でも、ベッドに寝ている私の所に毎日やって来る娘の姿を見たとき、教師としては無理でも、母親としてもう一度だけ起き上がろう、と思いました。
石を拾ってきて「8月5日」と書きました。今日から起き上がろう、という決心の石でした。でも、起き上がることができませんでした。次の日、また石を拾って「8月6日」と書きました。でも笑うことができず、毎日石を拾ってきては、日にちを書きました。石だけが机の上に並んでいきます。でも、笑うことも起き上がることもできませんでした。
そんなある日、また石を拾って日にちを書こうとしたとき、私の手をパッとつかむ娘がいました。目に一杯涙をためて、「お母さん、もう石を拾って来なくていい。笑わなくてもいい、起き上がらなくてもいい、ただ、生きているだけでいいから」と言ってくれたのです。その言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜け、私は初めて「うわあああ」と、声を上げて泣いたのです。死にたいと思っているのに「生きているだけでいい」と言ってくれる人がいる。「生きているだけでいい」さやかに言ってあげられなかった言葉です。生きているだけで素晴らしい、生きているだけで尊いんだ。その時私は、もう一度子ども達の前に立とう、と決心したのです。
「あなたたちは、生きているだけで素晴らしいんだよ」「生きているだけで奇跡なんだよ」そう言ってあげられる先生になりたい。子ども達の本当の心が何を願い、何を望んでいるのかを、見て取れる教師になりたい。その時から、私は180度変わっていきました。
(鹿児島いのちの講演会より)
≪終わり≫
発行所◎生命尊重センター
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