2018年5月 コラム
先月、51歳の誕生日を迎えた日に、80歳の母から、こんなメールをもらいました。
「51歳のお誕生日おめでとう!毎日ちょっと忙し過ぎでしょう。気を付けて過ごして下さい。時間に追われて、無理をして事故をしない様に。自分だけの身体ではないことを自覚して忘れない様に。」
私がいくつになっても、親は親だなぁと有り難く感謝しながら、誕生日を過ごしました。
水戸黄門として有名な徳川光圀(1628~1701)は、自分の誕生日には、最も粗末な食事をしたと言われますが、その訳は?と言いますと・・・
誕生日というものは、母親が命がけで自分を産んでくれた母への感謝の日。そんな母の姿を思い浮かべているとご馳走など食べる気にもならぬ。産褥の母の姿を 忘れぬのが何よりの誕生日と言い、生母のひさ子がこの世を去ってから後、自らの誕生日には必ず梅干しと粥ですましたそうです。
「親のこころ」 木村耕一編著より
私が若い頃、道徳の勉強のときにこの話を聞いたことがありました。それまでも親に感謝してお礼を言うことはしていましたが、親が高齢になるにつれて、その思いは次第に深くなってきました。
私は水戸黄門様のように、お粥に梅干しというところまでは、まだ実践できていませんが、母への感謝の思いをできるだけ生きているうちに届けたいと思います。
3度の流産を繰り返しても、当時周りから心無い辛い言葉を掛けられても、諦めずに私を産んでくれた母に 心からお礼を言いたいと思います。
諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日