2008年5月のコラム
この春から、遠くの中学校に電車で行くことになり、朝早くからお弁当を作ってもらっている長男の学年通信に書かれてあった、ある会社員(39歳)の方の高校生の時の作文です。
親の私のほうが、弱い体で毎日弁当を作ってくれた母を思い出して涙が出てきました。
『私が高校生の頃でした。 2年生の初夏の頃、私達はいつものように早弁をしようと、級友数人で屋上に上りました。
その日はどこまでも青く晴れ渡り、北の遠くの青い山がくっきりと見え、初夏の風が優しく私たちを包んでいました。
私は満ち足りた顔をし、新聞紙に包んだアルミの弁当を取り出してみると、どうもいつもの弁当箱と違い、ひと回り小さいのに気が付きました。
朝早く慌てて出てきたものだから、母の弁当と取り違えてしまったらしい。「仕方がない。足りなければ、売店でパンでも買おう」と思い、ふたを開けて驚きました。
当時、母は父と死に別れ、女手一つで私と弟を育てていました。決して豊かな暮らしではありません。しかし、私の弁当はいつも卵焼きや魚の切り身や鶏の唐揚げなどがしっかりと入っていました。当然母の弁当にも同じものが入っているものだと思っていましたが、母の弁当にはご飯とほんの数片の味噌漬けだけでした。
それを見た瞬間、私は全てを知り、母への感謝の気持ちで涙が溢れてきました。私はもう弁当が食べられず、級友に涙を隠し、いそいそと屋上から降りて教室近くの手洗い場で顔をゴシゴシと力を入れて洗い、次の授業を受けました。
それから、もう早弁はできませんでした。あの時のしょっぱかった涙の味が私のそれからの過ごし方を変えてしまったからです。
今でも、時々懐かしく思い出されます。』
長男が持っていくお弁当の中には、今日も色んなおかずが詰められていることでしょう。
しかし、そのお弁当の中には、おかず以外のいろいろな“母の想い”がいっぱいに詰まっている事をしっかり感じて、勉強や部活に今日も頑張ってほしいと思っています。
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