真心に気づき、気づかせて ①
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ25年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今月の月刊誌『れいろう』の中に、宮崎県の教育相談員の方の素晴らしい書き込みがありましたので、ご紹介させていただきます。
私が小学生の頃「土呂久鉱山」の公害のお話を授業で初めて知ったのですが、今回のような詳しいお話は知りませんでした。とても感動のお話でしたので、ぜひ最後までお読みくださいませ。
宮崎県国富町教育相談員
斎藤正健さん
昭和18年宮崎県生まれ。宮崎大学を卒業後、県内の小学校に勤務。教頭、校長を歴任し、現在は国富町教育相談員。不登校児の学校復帰に向けた支援を行う適応指導教室で、今も子供と触れ合う。
命がけで子供たちを守る
来世に我も嫁ぎて妻となり
母ともなりて見たしと思う
これは鉱毒のため、十代から呼吸器や内臓など全身が病に侵され、自宅で7年半闘病した佐藤アヤさんの歌です。肩、手足の関節も腫れあがり、歩くことも、自分で髪をかき上げることさえできませんでした。
襲い来る病魔のために、結婚というささやかな夢さえ許されな人生でした。私は彩さんを訪ねていきましたが、最初は会おうともしてもらえませんでした。極端な人間不信に陥っていたのです。なぜ、そうまで苦しまねばならなかったのでしょうか。アヤさんだけではなく56世帯、269人の、宮崎県にある土呂久という小さな集落で70名以上が鉱毒のために苦しんでいたのです。
土呂久は、天岩戸で知られる高千穂峡から15キロほど北の谷間の集落です。鉱山が入ってくるまでは、牛馬の名産地として塩全に恵まれた、どこより安全な地でしたのに!
ここで大正9年から昭和16年まで、そして渋面の反対運動を押し切って昭和30年から昭和37年まで、農薬や毒ガスの原料になる猛毒の亜ヒ酸が製造されたのです。被害の深刻さを訴えても認めてもらえず、大量に吐き出される毒煙と鉱毒で汚染された飲料水の為に牛馬は息絶え、幼い子供や働き盛りの人々が次々に倒れていきました。地区の平均寿命や39歳。数年のうちに両親と子供5人の一家全員が亡くなった家もありました。
そんな状況なのに、土呂久住民の苦しみは、同じ宮崎の人にさえ、ほとんど知られていませんでした。私が知ったのは、宮崎大学を出た後、高千穂町立岩戸小学校へと教員として初めて赴任してからです。土呂久地区の子ども達は皆、岩戸小に通っています。病弱な子供が多く、教員のだれもが気になっていました。強い疑問が、私の中に沸き起こってきました。
鉱山跡では、異様な臭いが漂い、土呂久川沿いには赤茶色下鉱物の捨て石の山がいくつも放置されており、草木一本も生えていない広場もありました。きっと粉塵を吸っていたことでしう。
‟教師として、子ども達を守らねば!”
その思いから、私は被害の全容を把握するため、地区民の住宅を訪ね歩き、病歴調査や聞き取り調査を実施しました。そして、その恐るべき実態を手書きの地図に落とし込み、昭和46年11月、宮崎市で開かれた教育研究集会で発表したのです。
≪続きは、また次回に…≫
心の生涯学習誌『れいろう11月号』より
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