父の言葉
皆さん こんにちは! 不妊相談ひとすじ25年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今年は、コロナのこともあり、学生や社会人として関東にいる子どもたちが誰も帰ってこれません。
その中でも、忙しそうで、なかなか連絡がつかない娘が気になっているときに、先輩から頂いたお便りに平野レミさんのお父さんのことが書いてあり、読んでいてそうだなぁ~と思いましたので、ご紹介させていただきます。
『父の言葉』
料理研究家の平野レミさんのユニークなキャラクターは、父親譲りかもしれない。
「すごく真面目で、めちゃくちゃ変わっていて、チャーミングで優しく愛情深くて、何でも知っている面白いお父さんだった」
父の思い出は、レミさんの元気の源だ。
父は、ファーブルの【昆虫記】の翻訳など多くの著訳書を残したフランス文学者。米国人の祖父と日本人の祖母の間に生まれたハーフで、差別に苦しんだ経験から、戦後、日本人女性と占領軍兵士の間に生まれた子どもを救う活動に力を注いだ。
父の口癖は「好きなことを徹底的にやれ」だった。
「勉強しろ」と言われたことはない。通信簿を渡しても、中を見ずに「いい子だ、いい子だ」と褒めてくれた。進学校に進んだレミさんが勉強についていけず、父の前で初めて正座をして「高校やめたくなっちゃった」と打ち明けた時も、「やめろ。レミに合った学校ににいけばいい」と言ってくれた。「1週間悩んで想定問答も考えたのに、何も聞かず、気持ちを分かってくれた。うれしかったなぁ」。レミさんの目が真っ赤になった。
その後、レミさんは好きだったシャンソン歌手として活動。イラストレーターの和田誠さんと結婚後は、家庭料理の腕を磨いた。
「小さい頃から、別々の物を組み合わせておいしいものができるってすごいと思っていた。考えるのが、面白くて大好き。みんなで手作りのご飯を食べれば、家庭は笑顔でいっぱいでしょ」
雑誌の料理のエッセイを寄せたのを機に、次々と料理の仕事が舞い込むように。その後の活動は周知の通りだ。「なんでも『おいしい』って食べてくれる和田さんと、『好きなことをやれ』というお父さんの言葉のおかげでこうなっちゃった」
レミさんが和田さんと結婚して数週間後、父が初めて新居を訪れた時に持ってきた色紙には、直筆の詩がつづられていた。
『風つよければ 神さまは 靴のかかとに 棲み給う』
父は「自由に解釈すればいい」と言っていた。父の死後、仕事や人間関係でいろいろあったとき、レミさんが気付いたという。
「神さまはお父さんなんだね。何があっても、靴のかかとで、私が倒れないように支えてくれている。」
そう言っているんじゃないかな。
色紙は、今もピアノの上に飾っている。
私の娘も、教育学部卒業後に、「お父ちゃん、どうしてもやりたいことがあるから…」ということで、東京に向かいました。バイトをしながら夢を追いかけて頑張っている娘を、遠くから見守ることしかできませんが、一番身近な応援者として支え、幸せを願い続けていきたいと思います。
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