奇跡の恩送り(前半)
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ25年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、肌寒い朝を迎えましたね。皆さん風邪をひかれませぬよう、お体にはどうぞご自愛くださいませ。
さて、今日と明日は、月刊誌『れいろう』に掲載されている白駒妃登美さんのふるさと偉人伝の中から「命がけの救助活動から始まった奇跡の恩送り」という演題で、トルコのエルトゥールル号海難事故のお話をご紹介したいと思います。
このお話は、5年ほど前に【海難1890】という映画にもなった内容ですが、自分が日本に生まれて、日本人として育って本当に良かったと思えるお話でした。
どうぞ皆さん、最後までおよみくださいませ。
白駒妃登美さん
日本史は「志」のリレーであり、報恩感謝の歴史であることを伝える講演に「こんな歴史の先生に出会いたかった」と涙する参加者が続出。全国各地での講演活動は年間200回におよぶ。著書に『なでしこ歴史物語』(モラロジー研究所)など多数。
命がけの救助活動から始まった奇跡の恩送り
◇危険を顧みない懸命の救助
トルコと日本の友好の歴史、その始まりは130年前にさかのぼります。1890年(明治23年)9月16日夜、トルコ軍艦エルトゥールル号が紀伊半島沖で台風に遭い、転覆。犠牲者約600名、生存者わずか69名という、大惨事が起こったのです。
現場から最も近かったのは紀伊大島、本州最南端の町・串本の沖合に浮かぶ大島村(現在の串本町大島)です。村人たちが駆けつけると、海岸には何百もの人影が打ち上げられ、座礁した船の残骸が山のように海面に漂っていました。
男たちは60メートル近い断崖を下りると、漆黒の海に飛び込んで生存者を探しました。負傷者を見つけると、服を脱ぎ、冷え切った彼らの身体を体温で温め、帯を包帯代わりにして応急の手当てを行います。そして、自分より二回りも身体の大きなケガ人を背負って、息をのむような断崖をよじ登るのです。崖の上では島の女性たちが待ち構え、負傷者を手厚く介抱しました。
大島村は、半農半漁の貧しい村でした。特にこの年は台風で漁に出られない日が続き、村はその日に食べるものにも事欠くありさまでした。そこに現れた69名もの負傷者。この気の毒な異国の人々に対し、村人は浴衣や布団を差し出し、わずかに残った卵やサツマイモ、非常用に蓄えていた米や、正月用にとっておいた鶏までも提供したのです。
村人たちの善意により、生存者はみな体力を回復し、日本の軍艦でトルコに送り届けられました。旅立ちの日、彼らの代表者はこう告げました。
「われわれは、このたびの日本人の措置に心から感謝をしている。乗員一同は帰国後、広く日本人の温情を同胞に伝えるつもりだ」
エルトゥールル号の海難事故。地元では犠牲者の慰霊が続けられたものの、その後の激動の歴史の中で、多くの日本人の記憶から忘れ去られました。
でもトルコの人々は、日本人への感謝を語り継いでくれていた、それが後に証明されるのです。
《この続きは、また明日…》
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