人の喜ぶ姿見て、喜び得られる人となれ②
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ25年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、一日じゅう雨でした。
空気もジメジメして、空も暗くて、湿っぽいので、私は梅雨はあまり好きな時期ではありませんが、紫陽花の花は本当にこの時期にきれいな花を咲かせます。
鮮やかな青や紫の花びらを見ていると「梅雨も又よし…」とそう思います。
さて、今日は元気いっぱい綾部先生のお話の第2話です。
綾部先生の生き方を見ていると、まっすぐ一本迷いなし!といった感じです。潔さがとても気持ちよく、私も見習いたいと思います。
綾部正哉さん 椎葉綾心塾(しいばりょうしんじゅく)塾長
昭和16年、満州国三江省佳木斯市生まれ。宮崎大学卒業後、宮崎県の公立学校の教諭として24年間勤務。教育行政職を経て、定年退職後は宮崎大学教育学部の客員教授を務める傍ら、椎葉村で私塾「綾心塾」を開設。
退職金で始めた無料の私塾
記者―主宰されている私塾に学んだ学校関係者は、1000名を超えるとお聞きしました。どのような塾なのですか。
綾部さん―これからの日本人を育てる、後進の教育者たちの力になりたいと思い、椎葉村にうつると同時に始めた私塾です。なにせ宮崎市内からは車で片道三時間以上もかかる山奥です。そんな労力をかけてまで塾に来てくれる人は、相当の思い、相当の悩みを持っているものでしょう。それは自分の指導力の問題であったり、校内の人間関係だったり、保護者とのトラブルに悩む人も少なくありません。抱える問題は様々ですから、プログラムは決まりきったものではなく、その人の悩みに合ったものを毎回用意しています。
一泊二日の中で、必ずやっていただくことが一つあります。自然の中で体を動かすプログラムです。それは、農作業だったり掃除だったり、家畜の世話であったり。手伝いをしてほしいわけではありません。問題というものは、ずっと頭の中で煮詰めて考えていても、うまくいかない場合が多いものです。外に出て体を動かし、思いっきり汗をかく。その体験の中に、いろいろな気づきがあります。黙々と体を動かしながら、自問自答をする中で、それぞれの答えを見つけていかれます。
記者―綾部さんは普段から、村で生活されているのですか?
綾部さん―定年までは別の場所で家族と生活をしていましたが、退職金を使って明治時代の元村長の空き家を手直しをして、暮らし始めました。「私一人だけでも大丈夫よ。お父さん」妻はそう言って背中を押してくれました。
定年という区切りは「第四の人生」の始まりであると、私は考えています。四つの団子が一つの串に刺さった様子をイメージしてみてください。一番上の団子である第一の人生は、母親の胎内からこの世に生まれ、小学校に入るまでの六年間です。その次の団子は小学校、中学校、そして高校、大学と教育機関で勉強をした時代。四年生の大学まで進んだとしたら十六年間ですね。
三番目の団子は、社会に出てから、勤め人なら定年で職を終えるまでです。私の場合は二十一歳で就職し、六十歳で定年を迎えました。この第三の人生は、学校で得た知識や技術を発揮して仕事をするとともに、家族で子を育て、世に送り出していく期間と言えるでしょう。そうして最後の団子が定年から生涯を終えるまでの第四の人生です。
この第四の人生を、どう生きるか。一言で言えば「お返し」ですよ。定年を迎えた時、いろいろな方面から「綾部さんの役職を用意したから、うちに来てくれ」とお声かけをいただきましたが、全てお断りしました。応じれば、こちらは安定した収入が望めますし、相手先にも良いのかもしれません。しかし、それ以外の人や世の中、日本の未来にとってはどうなのでしょう。自分が得することばかりを考えていたら「三方よし」にはなりません。
今の日本には志を抱いて学校現場に入ったはいいが、様々な問題に悩み、戸惑い、自信を失っている教師が沢山います。与えられたこの命です。己の欲を捨て、どれだけお返しに生きられるか。‟第四の人生”はその勝負だと思っています。
≪続きはまた次回に…≫
心の生涯学習誌れいろう5月号より
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