『健康的な食事』をながめると… ①
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ25年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は台風の通過のため、朝から雨と風が強い一日でしたが、皆様のところは無事だったでしょうか?
今度は、今週末に最大級の台風が再びやって来るようですので、準備をしっかりされて、気を付けてお過ごしくださいませ。
さて今日からは、健康的な食事について分かりやすく書かれている内科医の奥田昌子さんのお話をご紹介させていただきます。歴史から見た興味深く、分かりやすいお話ですので、どうぞ最後までお読みくださいませ。
奥田昌子さん 京都大学大学院医学研究科修了。内科医。医学博士。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何か考える中で予防医学の理念にひかれ、卒後、検診並びに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。著書に『胃腸を最速で強くする』(幻冬舎新書)、『欧米人とはこんなに違った、日本人の「体質」』(講談社ブルーバックス)などがある。
「健康的な食事」の歴史をながめると
中国大陸に『魏志倭人伝』という記録があります。弥生時代にあたる3世紀前半、今から1800年ほど前の日本の国のしくみや人々の暮らしが書かれていて、有名な古代の女王、卑弥呼が登場することで知られています。
これによると、当時の日本人は稲を育て、気候が温暖なので一年中野菜を食べていました。蚕を育てて質の良い絹布を作り、性格は折り目正しく、寿命は80~100歳だったそうです。
100歳というのは驚きですが、昔の平均寿命が低かった主な原因は、小さいうちに亡くなる子供が多かったことのようです。例えば今から約200年前の江戸時代後期には、男性の平均寿命は27.8歳で、女性は28.6歳でした。しかし、21歳までに亡くなった人を除いて計算すると、男性は61.4歳、女性は60.3歳になるそうです。
幼い時期を無事に乗り切った人は、現代の私たちがイメージするほど短命ではなく、中には長生きする例もあったのでしょう。古代の別の資料にも、日本人は長寿だと記載されています。
中国大陸には、東の海に浮かぶ蓬莱(ほうらい)島に不老不死の薬を持つ仙人が住んでいるという言い伝えがありました。これをもとに、秦の始皇帝は家臣に命じて仙薬を探しに行かせたそうです。大陸の人は日本に蓬莱島のイメージを重ねていたのかもしれません。
それにしても、『魏志倭人伝』に描かれているのは近代までの日本の暮らしそのものです。性格が折り目正しいというのも日本人らしいですね。
この時代、中国大陸では食用の牛、豚、アヒルなどの飼育がすでに始まっていました。しかし、海山の幸に恵まれた日本では、魚と貝を獲り、時折イノシシやシカなどの野生動物を捕らえて食べれば十分だったため、動物をわざわざ育てて肉を食べる習慣はなかなか広がりませんでした。
お米、魚、野菜、木の実にキノコと、食材が豊富だったのは幸せなことです。けれども私たちの祖先は、手近にあるものを適当に食べていたわけではないようです。1200年前の奈良時代には野菜の栽培が盛んになりますが、それらの野菜の大部分が、もとは薬草として利用されていた植物だったという記録があります。
これは非常に重要な点で、そうだとすると、大陸で言うところの薬食同源、すなわち薬と食物はその源が一つだという思想がすでに存在していたことになります。
≪次回へつづく≫
マクロビオティックマガジン【むすび8月号】より
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