輝け!東京アスリート① ~前だけを向いて生きる~
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
長かった今年のゴールデンウィークも今日で終わりですね!皆さんは、どのようにお過ごしになられたでしょうか?
さて、今日は月刊誌「れいろう」の中で、とても素敵なお話がありましたので、ご紹介させていただきます。
瀬立モニカさん(せりゅうもにか) パラカヌー日本代表
平成9年、東京都江東区生まれ。中学2年でカヌーを始め国体を目指すが、高校1年の体育の授業中に転倒し、体幹機能障がいで車いす生活となる。一年間のリハビリを経て26年にパラカヌーで競技復帰。28年、リオデジャネイロオリンピックから正式競技となったパラカヌーに唯一の日本代表として出場し8位入賞。筑波大学体育専門学群在学中。
まだまだ成長できる
記者)昨年5月に開催されたワールドカップのパラカヌーでは8位でしたが、トップとのタイム差が3秒まで迫りました。来年の東京パラリンピックでの金メダルの手応えがつかめましたか
瀬立さん)私はもう少しシビアに考えていて、200メートルのタイムを1分切ることができて、ようやくライバル選手と同じ土俵で戦えるようになったという感じです。年々、パラカヌーの競技レベルは上がっていて、リオデジャネイロパラリンピックの時は1分を切ったらメダルを取れるタイムでしたが、今では決勝に上がれるラインです。でも少し楽観的に捉えたら、凝縮された3秒の中で8人から9人の選手が争っている状況なので、まだまだ成長できる点がたくさんある自分は有利かなと思います。そういう意味では手ごたえはつかめました。
記者)カヌーとの出会いを教えてください。
瀬立さん)中学2年の夏に、体育の先生から勧められて始めました。地元の東京都江東区は川が水路として発達している「水彩都市」なんですね。この地の利を生かしたスポーツができないかと、区長さんが江東区立中学校カヌー部を設立して、江東区の中学校の生徒が集まりました。カヌーは普通に生活していたら出会わないスポーツですし、他行の生徒たちと知り合うこともできて、とても面白かったです。高校入学後も、2013年の東京国体を目指して、同じ仲間と同じ場所で練習していました。
4カ月に及ぶ入院生活
記者)けがをされたのは高校1年のときでしたね
瀬立さん)東京国体予選を前にした高校1年の6月、体育の授業中に倒立前転で転倒して、胸から下が動かせなくなる体幹機能障がいを負い、車いす生活となりました。入院は4カ月に及びましたが、現実に目を向けないで、あえて他人事のように思うことで、自分の気持ちを立て直していたところがありました。
主治医の先生は忙しい中、毎日病室に来て、「モニカさんは、とにかく前だけを見ていきていきなさい」と毎回声をかけてくださり、生きるエネルギーを与えてくれました。
立ち直ることができたのは、主治医の先生や看護師さんたちに恵まれた環境でお世話になれたということがあります。
記者)お母様は当時どのように接してくださいまさいたか
瀬立さん)私の前では全然泣かなくて、けがをする前と全く変わらず接してくれました。強い母だと思います。母は私が小さいころから、看護師の資格という武器をもって女手一つで私を育ててくれました。入院期間中もフルタイムで看護師として働きながら、仕事場と私が入院している病院と家との往復でとても大変だったと思います。本当に「強い」のひと言です。母は私の一番の味方だと思っています。たくさんけんかもしますけどね。
≪続きはまた次回へ・・・≫
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