特集)可能性がある限り、チャレンジは終わらない②
皆さん こんにちは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、漢方の九州大会で福岡に来ています。昨年から九州地区の会長を仰せつかり、プレッシャーを感じながらも充実しています。今日は、私も2時間講演することになっていますので、朝早くから準備をしています。
昨日に引き続き、山本博さんの素敵な人生についてのお話の第2話をご覧くださいませ。
山本 博さん アーチェリー アテネ五輪 銀メダリスト
昭和37年、横浜市生まれ。59年、日本体育大学在学時にロサンゼルスオリンピック出場。アーチェリー男子個人で銅メダルを獲得。卒業後、日本体育大学レクレーション学研研究助手を経て、平成元年埼玉県の大宮開成高校保健体育教諭着任。在任中の平成16年に行われたアテネオリンピックでは男子個人で銀メダルを獲得し「中年の星」として注目を集めた。現在は日本体育大学教授 博士(医学)として多忙な日々を送りながらも現役選手として活躍中。
頑張っている人にメッセージを送りたい
記者)これまでやめようと思ったことはないのですか
山本さん)ないですね。オリンピックを目指しているレベルでは、私くらいの年齢の人はいません。
オリンピックに出場した選手の年齢を見ても、20台が中心で、30代に入るとかなり少なくなり、40代はほぼいません。みんなから「まだやったんだね」と言われるのですが、今でも私は、もう一度オリンピックの舞台で戦ってみたい、という思いが変わりなくあります。今はアーチェリーの練習に専念する環境でないと、世界の頂点を目指すのは難しいと実感しています。しかし、私は仕事と練習を両立させて、もう一度世界で活躍ができたら、という思いがあるんです。
また、社会で多くの問題を抱えながら頑張っている人たちに、何か役立つものを発信できればいいな、という思いもあるので。年齢的にも、体は辛いですよ。でも、20代の頃アーチェリーのに取り組んでいた時とは違う使命感が、前に進んでいく原動力になっています。
記者)使命感ですか
山本さん)高校教諭時代は、シーズンに入ると、遠征で数日いないことも頻繁にあり、体育科の先生方に授業を助けてもらい、競技活動を支えていただきました。だからその分、自分には何ができるだろうかと考えたんです。そして「自分が世界で頑張る姿をみせることで、自分の教え子たちにとって自慢の先生でありたい」と思いました。
授業で教わっている先生が世界に行って活躍している、将来自分たちも何かにチャレンジしていこう、そう思ってもらえるようなメッセージを、自分自身を通じて、発信できればいいかなと思いながら、取り組んできました。
体が壊れても方法はある
記者)3年前に右肩を手術されたとき、やめようとは思われなかったのですね。
山本さん)そうですね。そもそもパラリンピックの原点がアーチェリー競技であったように、中学生のころから、車椅子の選手などいろいろな選手とハンディキャップもなく競い合う環境の中にいたんです。
例えば脊髄損傷の人や腕が欠損して口で弓を引いている人もいる。そういう人たちを見て「うまいなあ。上手だなあ」と。「頑張っているなあ」という感覚が私の中にはなくて、腕がないとか足がないというのは、特別なことに感じてこなかったんです。だから右肩が手術して治らなかったとしても、いろいろな方法がある、と体が故障することへの恐怖心はあまりありません。体が壊れたらどうやって治すのかを考え、その時々に最善を尽くして、努力し続けるだけです。
≪続きはまた明日≫ れいろう平成31年 2月号より
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