誰かに分かってもらいたい ひまわり会より
皆さん こんばんは。 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、一昨日のブログでご紹介しました『ひまわり会』でのお話ごん狐の『お話のまとめ(意図するところ)』をご紹介したいと思います。
とても、深イイお話ですので、どうぞ読んでみて下さい。
一昨日のブログの内容はコチラ↓
http://ameblo.jp/reimeido/entry-12040980940.html
今月のテキストの巻末には、こう纏めてありました。
私たちは、他者の善行を見聞きすれば、その行為を褒め称えるでしょう。
一方、私たち自身が「よいこと」をするときには、親切心や思いやりの気持ちから始めたことであったとしても、心のどこかには〝このことを誰かにわかってもらいたい”という思いも存在するのではないでしょうか。それは自然な感情であるともいえます。
この「認めてほしい」という欲求を乗り越えて「よいこと」を続けていくには、どのように考えればよいのでしょうか。
道徳とは本来、見返りを期待しないものです。
例えば、誰かに対して親切にする場合、ひたすら相手の幸せを願って行い、または贈り物をするときでも、日ごろお世話になっていることに感謝するなど、相手を思う真心を添えて贈るのです。
その結果が自然に報われたときは、素直にこれを受け入れればよいでしょう。しかし、たとえ感謝されることがなかったとしても、決して相手を責めることはありません。
私たちは日々、さまざまな支えの中で生活しています。そこには、誰のおかげかが明確で本人にお礼を言うことができる恩もあれば、自分ではそれと気づかないところで誰かのお世話になっている場合もあるはずです。
まずはそうした事実に気づいたうえで「自分がこれまでに受けてきた恩恵に感謝して、お返しをする気持ち」を培っていったなら、謙虚な気持ちで道徳の実践に踏み出すことができるのではないでしょうか。
(ニューモラル NO.550 「認めてほしい」を越えて より)
一昨日のブログでご紹介したごん狐は、この『誰かに分かってもらいたい』という気持ちを表現したお話だったのですね。
小学生以来ごん狐のお話を、味わって読みましたが、善いことをするときの、心構えを改めて教わったように思います。
私が今月パソコンから24時間いつでも聞けるインターネットラジオで、『母は強し』のトレーニング≪初級・中級・上級≫についてお話しています。よかったらお聴き下さいね!
http://www.omoraji.com/reimei.shtml
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