奇跡の恩送り(後半)
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ25年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
今日は、麗明堂は【酵素の日】ということで、麗明堂スタッフが朝から酵素を使った料理を作って、お客さんに振舞って食べていただきました。
『美味しい食べ物は、人の心をしあわせにする!』といわれるように、酵素を使った野菜料理はおいしく、体と心を癒してくれました。この企画は、とても好評でしたので、来月も行うことになりました。次回は、11月21日です。皆さんのお越しをお待ちしています。
さて今日は、昨日に続いて、月刊誌『れいろう』に掲載されている白駒妃登美さんのふるさと偉人伝の中から「命がけの救助活動から始まった奇跡の恩送り」という演題で、トルコのエルトゥールル号海難事故のお話をご紹介したいと思います。
このお話は、5年ほど前に【海難1890】という映画にもなった内容です。自分が日本に生まれて、日本人として育って本当に良かったと思えるお話でした。
どうぞ皆さん、最後までおよみくださいませ。
白駒妃登美さん
日本史は「志」のリレーであり、報恩感謝の歴史であることを伝える講演に「こんな歴史の先生に出会いたかった」と涙する参加者が続出。全国各地での講演活動は年間200回におよぶ。著書に『なでしこ歴史物語』など多数。
命がけの救助活動から始まった奇跡の恩送り
◇今こそ95年前の恩返しを
事故から95年後の1985(昭和60)年3月、イランとイラクの間で勃発した戦争は激しさを増し、イランの首都・テヘランは、イラク軍による空爆にさらされました。各国の政府は、イランにいる自国民を救出するために動き出します。
ところが当時の日本には、イランに乗り入れする航空会社もなければ、自衛隊の海外活動を認める法律もなかったので、日本政府は他国に救援を打診するしかありませんでした。しかし、みな自国民の救出に手いっぱいで、断られてしまいます。さらに、当時イラクの大統領だったサダム=フセインの突然の宣言で、イラン在住の日本人は窮地に立たされます。
「今から48時間後、イラン上空を飛ぶすべての飛行機を無差別に攻撃する」
軍用機だけでなく民間機も撃ち落とすという非情な宣言に、世界中がパニックになりました。刻一刻とイラン脱出のタイムリミットが迫り、万策尽きたかにみえた、その時…。取り残された日本人を救出するために、危険を顧みずに飛行機を飛ばしてくれたのが、トルコ航空でした。
2機のトルコ航空機が215名の在留邦人を乗せ、イランからトルコ領空に入ったのは、タイムリミットのわずか1時間15分前のことでした。安堵の涙を流す乗客たち。それにしてもトルコ航空はなぜ助けに来てくれたのだろう、その疑問を乗客がぶつけると、乗員は微笑みながら、こう答えたそうです。
「エルトゥールル号の恩返しです」
先人たちが紡いできた、報恩・感謝の歴史。
今、私たちが世界のどこへ行っても信頼されるのは、こういう日本人の生き方に世界が共感してくれたからでしょう。私たち一人ひとりがの生き方が積み重なって、歴史が紡がれていく。50年後、100年後の日本人が世界から信頼され、愛され続けるためにも、「今」を生きる私たちの責任は重大ですね。
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