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 2013年 6月25日
カテゴリー:アメブロ ( つれづれ )

自分の命を捨てて弟を助けてくれたおばあちゃんへ・・・(1)

 今日は、朝から一日相談が続いていて、21時前からやっとブログを書き始めました。

午前中には、地元のSさんから ご懐妊の報告 があって、お空の天気は雨でしたが、晴れやかな気分で一日を過ごさせていただきました。

 全国的にお天気が崩れているようですが、皆様の地域はいかがでしょうか?

 昨日の6月24日は、私の母方の祖母が39年前に交通事故で亡くなった日でした。

私は、いつもこの日の夕方の時間を迎えると、病院で亡くなった祖母の姿を思い出して、胸騒ぎがするのです。


 昭和49年6月24日、小学校に入ったばかりの私は、いつものように学校から帰ってきたのですが、家のカギが閉まっていて、いつも居るはずのおばあちゃんがいないので、そのうち帰って来るだろうと家の前に座っていました。


すると、父が車でやって来て、

「こういち!急いで車に乗りなさい。」

と言って、そのまま連れて行かれたのが、おばあちゃんが救急車で運ばれて行った病院でした。

 体のあちこちに傷があって、頭は血の滲んだ包帯がぐるぐると巻いてあり、意識もなく 『はぁ、はぁ』 ときつそうに息をしているおばあちゃんがベッドに横たわり、その横で母が

「お母さん、お母さん」

と泣きながら叫んでいました。


 おばあちゃんは、3歳下の弟の幼稚園の迎えに行き、帰りの横断歩道で、横断旗を持って歩いていた弟に気付かずに突っ込んできた大型トラックから弟を守るために、4歳の弟を道路脇に突き飛ばして自分がトラックにひかれたのでした。

 トラックの運転手の居眠りが原因だったようですが、祖母はその異変に気付いて、とっさに孫である4歳の弟を守ろうと自分が犠牲になったのです


 数時間後に、おばあちゃんは息を引きとり、帰らぬ人となったのです。


 私の母は、体が弱かったため、弟が生まれてからの一年間は、私は福岡の祖母の家にあずけられて祖母と二人で過ごしました。私は、俗に言う 『おばあちゃん子』 だったのです。

頭が良くて、よく気が付いて、やさしいけど厳しいしっかりしたおばあちゃんでした。

親族との旅行にはいつも連れて行ってもらい、よく可愛がってもらいました。

そのおばあちゃんが居なくなって・・・ 突然のことだったので本当に信じられませんでした。


この続きは、改めて明日書かせていただきます。


 
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