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 2013年 6月26日
カテゴリー:アメブロ ( つれづれ )

自分の命を捨てて弟を助けてくれたおばあちゃんへ・・・(2)

 今日は、昨日の 『私の大好きだったおばあちゃん』 の記事の続きです。

昨日の内容はコチラ↓

http://ameblo.jp/reimeido/entry-11560498275.html


 母の実家がある福岡に住んでいるおばあちゃんが、なぜ宮崎で亡くなったかというと・・・

6人の子供たちの中で、一番体が弱かった母のことが心配で一年のうちの数ヵ月は宮崎に来てくれて、私たちの面倒をみてくれていたのです。


 亡くなった後に、母から聞いた話なのですが、宮崎の景色の映ったテレビを見ながら、ふと 「一度、ここに行ってみたい」 と言った場所があったそうです。

 海が見えて、緑の草がとてもきれいで、野生の馬がそこで草を食べている・・・



【おばあちゃんが、見たであろう風景です】

都井岬(1)(3)

都井岬(2)

宮崎にお住まいの方だったら、もうお分かりのことと思いますが、その場所は、宮崎県の最南端にある 『都井岬(といみさき)』 という、とても美しくてきれいなところだったのです。


 しかし、体調が悪く、寝ては起きの繰り返しだった母にとって、車で3時間もかかる都井岬に祖母を連れて行く体力も余裕もなく、その時は 「母さん、落ち着いたら連れていくからね!」 と言ったそうで、今でもそれを思い出しては、 「あの時、無理をしてでも、おばあちゃんを都井岬に連れて行ってあげればよかった…」 と言うのです。

 その母から、よく聞かされた言葉が、『親孝行 したい時に 親はなし』 でした。20代でお父さんを、30代でお母さんを、それぞれ交通事故で突然亡くした母にとっては、『いつかはしたい!』 と思っていた親孝行が出来なくて、とても悔やんだのでしょう。

6人の兄弟の中で一番体の弱かった母を心配して、祖母が福岡から手伝いに来てくれていた時に、弟を幼稚園に迎えに行った帰りにトラックに撥ねられて59歳で亡くなったのですから…

 私は、幸いに4人の両親がみな元気でいますので、今できる最高の親孝行をさせていただきたいと思っています。(まだまだ不充分ですが・・・)


 最後に、祖母が亡くなってから分かったことがありました。

それは、何かというと… いつも回ってきていた郵便局の方が教えてくれたのですが、9人の孫たちの教育資金の積み立てを毎月続けていたのです。

母たち兄弟は、みなびっくりして、交通事故で突然亡くなったのに、先のことをいつも心配してくれていた祖母に感謝して、その積み立てを今度は自分たちで続けたのです。

(私の大学受験の時にも、ありがたく使わせていただきました。感謝)


6月24日になると、いつも思い出す、私の大好きなおばあちゃんへ!

いつも見守っていてくれて、本当にありがとうございます!

母をこれからも大切にしていきますので、どうぞ安心して下さいね!


 
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