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 2013年 3月25日
カテゴリー:アメブロ ( 趣味 )

おそうじで見つけた宝物のハガキ

 今日は、一日お休みをいただいて、殆ど丸一日倉庫の段ボールに入っている資料の整理をしました。

 もともと、散らかすほうではない・・・ と自分では思っていたのですが、勉強会や出張から帰ってきたらすぐに相談が続くことが多く、資料を整理できないまま日々が過ぎ去り、十数年前からたまった大きな段ボール箱が5箱にもなっていました。


 倉庫の広い父のお店に保管していましたので、父から 「早く、整理しなさい!」 と言われ続け、やっと今日手をつけました。

 わたし風に言えば、その時に、「この資料は取っておこう…」 とか 「また、ゆっくり読もう!」 と思ったものが段ボールに入っている訳ですから、そう簡単にポイッとは捨てられない!と言うのですが、周りから見れば、「整理!整理!」と言いながら長い読書が始まる訳ですから、たまったものではないのでしょう。


 何やかんや言いながら、半分以上は捨てて段ボール2箱に絞ったのですが、以前から探していた資料が見つかったり、懐かしい手紙が出てきたりして、途中からは自分が “宝探し” をしている感覚になっていました。


 今日は、その中で私にとって宝物のハガキが出てきましたので、皆さんにご紹介したいと思います。


それは、このハガキです! 皆さんはどんな人なのかをご存知ですか? (宮崎県の方は是非知っておいていただきたいと思うのですが…)


村社講平ハガキ

 この達筆なハガキを書かれた方は、陸上競技長距離走の元オリンピック選手の村社講平(むらこそ こうへい)さん(宮崎市出身)なのです。


村社講平(2)

 私が小学4年生の時に“陸上教室”というのがあって、そのあとに私がお礼のハガキを出しましたところ、なんと直筆で書かれたハガキをいただいたのです。

 そのハガキには、こう書かれてありました。

『オリンピックの 覇者に 天才なし』



村社講平(3)

村社講平(1)


 小学4年生当時は、宮崎からオリンピックに日本代表で出たおじいちゃんからハガキを戴いた嬉しさはもちろんあったのですが、あとから調べてみると、本当にご苦労されて練習に練習を積み重ねられた方だった ことが分かりました。



宮崎県
宮崎市
出身。旧制宮崎中学校
時代にマラソン大会で優勝したことをきっかけに長距離走を本格的に始める。

中学卒業後は県立図書館に勤務。仕事のかたわら陸上競技を続けているうちに素質を認められ、1932年
、27歳のときに中央大学
法学部に進学。

中央大学在学中の1936年
ベルリン五輪
に日本代表として出場。出場した5000m・10000mでともに4位入賞を果たす。10000mのレースはレニ・リーフェンシュタール
の「民族の祭典
」に収録された。そのベルリンの村社の力走に感銘したチェコスロバキア
の少年が、後の人間機関車ことエミール・ザトペック
であった。

また中央大学時代には東京箱根間往復大学駅伝競走
にも出場した。

第二次世界大戦
時には大日本帝国陸軍
に応召された為、現役続行を断念した。

戦後は毎日新聞
の運動部記者になり、スポーツ取材をする傍ら、毎日マラソン
(現在のびわ湖毎日マラソン
)、全国高等学校駅伝競走大会
全日本実業団対抗陸上競技大会
等の創設に携わった。

また、陸上競技のコーチとしては1952年
ヘルシンキオリンピック
では日本代表のコーチを務める傍ら、故郷宮崎から廣島庫夫
を見出すなど後進の育成に力を入れた。

1998年
7月8日
、急性呼吸不全のために逝去。92歳没。』 (ウィキペディア フリー百科辞典より)


 そして、1981年の4月の多摩ロードレースでこの様なドラマが起きるのです。


多摩ロードレースに出場するために来日したザトペック選手が、

「どうしても村社講平と一緒に走りたい。彼は私を陸上競技の道に進ませてくれた、憧れの人なんだ」

と希望したことから、当時75歳であった村社講平さんが、

「そこまで言うのなら」

と一緒に走ることを快諾して、5kmをザトペック選手と共に走るのです。


レースの後、ザトペック選手は、

「今日は我が人生で一番幸福な日だ。私にとってのヒーローであるムラコソと一緒に走ることが出来たのだから」

と語り、その感激を語っているのです。


 私はその後、この村社講平さんと同じ母校である宮崎県立宮崎大宮高校(旧制宮崎中学校)に入学するのですが、父に聞いてもっと驚いたのは、父の叔父が高校時代、村社さんと同級生で同じ陸上をやっていて、当時『長距離の村社、短距離の金丸』 と言われるくらい二人は足が速かったのだそうです。


 その父の叔父は、その後24歳で戦死するのですが、今となって思えば、その叔父さんが当時小学4年生だった私を、村社さんに逢わせてくれたのかな~ と思うのです。


 今日は、この宝物のハガキを見ながら、これからもしっかり努力を続けなければ!と気持ちが引き締まりました。


 
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