「幸せの条件①」薬師寺副執事長 大谷鉄奘さん
皆さん おはようございます。 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
昨日の夜は、都城市で道徳を学ぶリーダーの皆さんの前で1時間お話をさせていただきました。
自分がいくら良いことをお話しても、私自身が普段から実践できていることは相手の心に響くでしょうし、実践できていないことは、決して相手の心には響きません。行動による実践と、心の実践あるのみ。そのようなことを心に刻みながらお話させていただきました。
さて、先週飛行機の中で、薬師寺副執事長の大谷鉄奘さんの「幸せの条件」というお話を読んでとてもよかったので皆さんにご紹介したいと思います。
薬師寺副執事長 大谷鉄奘(おおたにてつじょう)
昭和38年、東京都江東区生まれ。実家は同区の重願寺(浄土宗)。芝学園高校在校中に薬師寺の髙田好胤和上たかだこういんに師事、17歳で薬師寺入寺。龍谷大学大学院修士課程修了。平成11年から「心を耕そう」をスローガンに全国各地で法話行脚を開始。平成15年に薬師寺執事、平成29年に同副執事長に就任。平成28年から龍谷大学非常勤講師を務める。
本日は「幸せの条件」ということをテーマにお話しさせていただきます。人と人との出会いは命といのちの出会いであります。こうして皆様方と出会わせていただき、いのちを共有することが出来ました事に感謝申し上げます。
私が今日、奈良からやって来て、こうして講師を務めることが出来るのには大きな理由があります。それは何といっても、今、この国が、平和だということです。この平和は、自分1人ではつくれません。今日一日でつくることもできません。例えば会社でも、社会でも、国という船に乗せていただいているから、私たちは幸せをいただいている。今、日本丸という船が平和だからです。
平和という細工の幸せを私たちに与えて下さっている、全ての物に感謝して話を始めさせていただきます。
『薬師寺』はどんなお寺か
全国各地で講演する際、私は「奈良にあるお寺を知っていますか」と聞くのですが、残念ながら「薬師寺」という名前は一番には返ってきません。奈良のお寺といえば、なんといっても大仏さんで知られる「東大寺」(752年創建)。それからもうひとつ有名なお寺は、日本で最初に世界遺産に指定された「法隆寺」(607年創建)です。奈良に都があったとき、最初にできたのが「法隆寺」、そして最後の時期にできたのが「東大寺」です。そして、そのちょうど真ん中の時期にできたのが「薬師寺」(698年創建)です。これら奈良のお寺には大きな特徴があります。それは、お寺なのにお墓を持たず、僧侶は一切葬儀に触れることがありません。ですから薬師寺で同僚の僧侶が亡くなっても、お経をあげることはしないのです。
さて、人間は皆、心を持っています。その心の使い方を徹底的に訓練(勉強)する学校としてできたのが、「薬師寺」です。例えば、今日はいいお天気ですが、仮に皆さんがこの学びの場に来るのに、自分の家の玄関を開けて一歩外に出ようとしたとき、激しく雨が降っていたとしましょう。こんな時、皆さんはどう思いますか。よりによって、出かける時に、何でこんなに雨なんか降るのかと、空に向かっていくら文句を言っても天気は変わりません。
今、同じ地球上のあちこちで戦争をやっています。そこでは鉄砲の弾が降ってきます。当たったら死にます。ですが、雨だったら拭えばいい。濡れたら着替えればいいわけです。ああ、鉄砲の弾でなくて雨でよかった、そう思うことも可能ですね。ここが大事なところです。つまり、それを受け止める人間の心の問題だと言えるのではないでしょうか。
私も含めて、皆さんも〝幸せになりたい。幸せになるためには心が大事である”ということは分かっているのですが、いったい、その心はどこにあると思いますか。自分の心のありかを指してみて下さい。頭、心臓(胸)、腹などいろいろ出ましたが「心は何からできているか」についてお話してまいりましょう。
教材「心のしくみ」「経験」と「価値観」と「考え方」
図をご覧ください。この図は今から十年くらい前に完成した『心のしくみ』の教材です。①②③が大枠でくくってあります。これが、私達の心をつくる要素です。まず①には何という言葉がはいるかといいますと、『経験』です。②には『価値観』。そして③には『考え方』が入ります。
例えば、皆さんが新しい職場に配属されて、仕事がうまくいかず行き詰ったとします。そんな時に、その職場に厳しい先輩がいて、「なんだ、こんな簡単な仕事ができないのか」と言われたとします。こうした「経験」をしますと、その瞬間に「この人は怖い人だ、嫌な人だ」という「価値観」を持ち、次の瞬間、「駄目だ、ここではやっていけない。この人には付いていけない」という「考え方」をするのではないでしょうか。
それとは逆に、その職場にものすごく優しい、いい先輩がいて、「一緒に働くことになったのだから、足りない所をお互い補い合いながら、頑張っていこう」と言われたとしましょう。そういう「経験」をすると、皆さんはその瞬間に、「この人はいい人だ」という「価値観」を持ち、「この人とだったら一緒にやっていけそうだ」という「考え方」を持つのではないでしょうか。その時、一番大切なのは、最初の「経験」の「験」という字なのです。この「験」は「しるし」と読ませます。そこで体験、経験することにより、自分の心の中に、験(しるし)を付けていくのです。
では、皆さんにお聞きします。猫が嫌いな方、手を挙げてみて下さい。すると、猫の好きな人は、手を挙げた人を見て「猫が嫌いなのだ」と思いましたね。実は、私も猫が嫌いなのです。それには理由があります。私が35歳のころのことです。実家に帰った時、妹が猫を飼っていました。可愛いなと思って手を出したら、猫にガリッとやられました。その経験で、私の内に〝猫はひっかく嫌な存在だ”という「験(しるし)」が付いてしまったのです。
このように考えていくと、自分の心は頭でも、胸でもお腹でもなく、つまり身体の一部分ではなくて、自分の頭の先から指先まで全部をさすことがお分かりいただけると思います。体全部が心なのです。
「自分」と「我」
ですから、④には「自分」という言葉が入ります。その自分という漢字を一文字で書くと、「我」です。 ⑤にはこの漢字が入ります。ところが、この「我(われ)」を「我(が)」と読んだ途端に、皆さんは何という言葉が浮かびますか。「我が強い」ですね。これを「我(われ)」と読んでいるうちは何の害もありませんが、「我(が)」と読むことで何らかのマイナスイメージを連想してしまいます。
では、また図をご覧ください。皆さんが今「我(われ)」と書いていただいた⑤から、左側の⑧に向かって緑色の矢印が出ていますが、この矢印をよく見ると、⑧の方に向かってだんだんと濃くなっています。これは我が少しずつ強くなっていることを表しています。それに対して、反対側の⑪を見てください。矢印の色がだんだん薄くなっていっています。よく、我がをなくせと言いますが、我はなくなるものではありません。問題は我の出し方なのです。
≪続きはまた次回に・・・≫
モラロジー研究所 所報 6月号より
平成31年2月22日、東日本生涯学習センターで行われた「特別講和」の要旨
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