深イイ話 「まごころ」の力 ①
皆さん こんにちは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
宮崎は桜も終わり、4月も中旬に入りました。
月日の経つのは早いものです。毎日の仕事に追われながら、今年度の中期、長期の計画と予定を入れながらあっという間に過ぎていく一年を眺めています。日々、心の成長を目指そうと、朝と寝る前に心遣いのチェックをしています。
心は見えなくて、特に自分中心の心には気付きにくいので、意識してチェックしないと見過ごしてしまいます。
さて、今日からは月刊誌「ニューモラル」の中にありました内容についてご紹介したいと思います。
「心」は目に見えないけれど・・・
私たちの言葉や行動は、目に見えない心から生まれてきます。
わがままな心を持っていれば、その言動は自分勝手なものになるでしょう。思いやりに満ちた「まごころ」を持っていれば、その言動は自然と相手の気持ちに配慮したものになるでしょう。それらの心は言葉となり、行動となって、周囲の人たちに伝わっていきます。
その影響は、もしかしたら私たちが考えるよりもずっと大きく、広い範囲にわたっているのかもしれません。それは私たちの日々の暮らしが、直接的に接する人ばかりではなく、広い社会の中で生きる様々な人たちとつながっているものだからです。
同じように影響を与えるのなら、冷たさではなく、周囲にぬくもりを伝えていくことができる「まごころ」を、より多く発揮していきたいものです。今回はそうした「まごころ」の持つ力について、歴史上の逸話を通して考えてみたいと思います。
ポーランド孤児を救った先人たち
今年、日本との国交樹立百周年を迎えたポーランド。地図で見ると、日本から遠く離れた東ヨーロッパに位置していますが、伝統的な親日国として知られる国です。ここに紹介するのは、その背景にある歴史上の逸話の一つです。
十八世紀の後半、ポーランドは隣接する三つの大国に分割されて国土を失いました。その後は独立運動を繰り広げては酷寒の流刑地・シベリアに送られるという、苦難の時代が百年以上続きます。ようやく独立を果たしたのは、第一次世界大戦が終わった1918年。ところが混乱が続くシベリアでは、祖国へ帰ろうにも帰れない多くのポーランド人が、寒さと飢えと伝染病に苦しんでいたのです。
せめて親を失った子供だけでも救いたい・・・そんなポーランド人の人たちの声に唯一応えた国がありました。大正時代の日本です。日本の外務省は窮状を知ると直ちに救援に乗り出します。日本赤十字社やシベリア出兵中の兵士たちが協力して孤児を救い出し、船で次々と日本へ送りだしたのです。最終的には750人以上の孤児が日本に保護されています。
孤児たちはやせ衰え、重い伝染病にかかった子供も多くいました。それが日本で手厚い看護を受けるうちに元気を取り戻していきます。中には腸チフスの子供を付きっきりで看病した末に自身も感染し、子供の回復を見届けて亡くなった看護師もいました。一般の人々からの慰問や寄付もあとを絶たなかったといいます。
健康を取り戻し祖国へ帰ることになった子供たちは、日本人との別れを惜しんで泣き、船が出航する際は「君が代」を歌って感謝の気持ちを表しました。
≪続きはまた次回に≫
ニューモラル平成31年4月号より
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