輝け!東京アスリート② ~前だけを向いて生きる~
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・漢方の麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
長かった10連休の今年のゴールデンウィークがやっと終わりましたね!
私は殆ど仕事でしたのであまり感じませんでしたが、テレビでは連休が長いことを喜んでいる人ばかりではなく、今回のお休みは長すぎて、あまり喜んでいない人もいるようでした。
さぁ皆さん、いつものペースに戻して、健やかにお過ごしくださいね!
今日は、昨日に引き続き、瀬立モニカさんの素晴らしいお話をご紹介させていただきます。
瀬立モニカさん(せりゅうもにか) パラカヌー日本代表
平成9年、東京都江東区生まれ。中学2年でカヌーを始め国体を目指すが、高校1年の体育の授業中に転倒し、体幹機能障がいで車いす生活となる。一年間のリハビリを経て26年にパラカヌーで競技復帰。28年、リオデジャネイロオリンピックから正式競技となったパラカヌーに唯一の日本代表として出場し8位入賞。筑波大学体育専門学群在学中。
体を動かす喜び
記者)パラカヌーとはどのように出会ったのですか
瀬立さん)高校2年のときに、2020年の東京パラリンピック開催が決まり、「江東区にカヌー会場ができるかもしれない。地元からパラリンピック選手を輩出しよう」という江東区の事業があって、カヌー協会の方からメールで誘いを受けました。私は当時、スポーツをする余裕も全くなく、生きることに精いっぱいでした。ですから、最初はメールも無視していました。しかし、何度も熱心に誘っていただいたので、できないことを証明して見せようと思い、川に行ってカヌーに乗ったのです。そしたら意外にできてしまって(笑)じゃあまたカヌーを始めようかという流れになりました。
記者)パラカヌーに初めて乗ったとき何を感じましたか
瀬立さん)体を動かすことの喜びというのは、当時の私には衝撃的なものでした。車いすだと段差で不自由さを感じていましたが「水上はバリアフリー」という言葉があって、水上に出てしまえばいろいろなところに何も心配しないで行くことができます。「ああ、自由なんだ」と魅力を感じました。
記者)カヌーと比べて、パラカヌーに難しさを感じましたか
瀬立さん)私は体幹、付近や背筋が使えず姿勢をうまく保つことができないので、そこでまず一つの課題が生まれました。一般の競技カヌーは足蹴りをしながら反動を使って漕いでいくんですね。この足蹴りができない状態ですので、全部腕で、私の場合は肩甲骨から上の部分で漕がなくてはいけないので、体の使い方が全く違います。パラカヌーイストとして活躍されている先人は少なかったので、正解が見えない中、自分たちで、模索しながら進んでいくことがとても難しかったです。
記者)パラカヌーはご自身の中でどのような存在ですか
瀬立さん)パラカヌーが社会とつながるきっかけを見つけてくれたと思っています。けがをした当初は、ずっと家にいたいとか、外に出たくないという思いもかなりありましたが、そういう部分を変えてくれました。パラカヌーという一つの目標ができたことで、自分の中でよいサイクルを見つけ出すことができて、生活の機動力、モーターになったと思います。
≪続きはまた次回へ・・・≫
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