私が行ってみたい国 天皇の島
皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。
昨日も暑かったですが、今日もとても蒸し暑いですね。台風の影響でしょうか。1日も早くカラッとした素晴らしい青空が望めるといいですね。
今日ご紹介するのは、今一番私が行ってみたい国、パラオ共和国のお話です。
日本から南におよそ三千キロ、西太平洋に浮かぶ人口二万人の国、パラオ共和国。マリーンスポーツのメッカとして知られるこの島々がかつて、史上稀にみる激戦の地であったことを知る人はどれだけいるでしょうか。
戦後七十年の今年、天皇皇后両陛下はここパラオを訪問され、大統領をはじめ、現地の島民の方々に熱烈な歓迎を受けました。陛下はかねてから南洋の慰霊に強い思いをお持ちになり、今回、十年越しでの実現となりました。子供からお年寄りまで日の丸の小旗を振って、笑顔でお迎えする様子からは、陛下のお越しを待ちわびていた島民たちの思いが伝わってくるようでした。
昭和十九年、米軍は日本が守るサイパン、グアム次々に攻め落とし、パラオ諸島に侵攻しました。
「二、三日で落とせる」と見ていた米軍に対し、守備隊は敢然と立ち向かい、戦闘は七十数日に及びました。勇戦する守備隊に対し天皇陛下から十一回もの御嘉賞が贈られたため、「天皇の島」とも呼ばれました。日本の守備隊長・中川大佐は、米軍の侵攻必至となるや、島民の方々を安全な所に避難させました。「日本と一緒に戦いたい」と志願する島民の方も少なくありませんでした。戦いが終わると、島民たちは泣きながら戦死者の遺体を埋葬し、その後も慰霊を欠かすことはなかったと言われています。
こうした背景には何があったのでしょうか。日本はパラオを統治した三十年の間に、道路や電気等のインフラをはじめ、教育・医療制度の整備に力を注ぎました。93%という就学率は、欧米の植民地のそれとは比べものにならない高さでした。戦後、アメリカの統治領となったパラオは昭和五十六年、独立に際し、島民に国旗のデザインを公募しました。そこでえらばれたのが、現在の「月の丸」です。「日の丸」の太陽の赤色を、月の黄色に変えたそのデザインには「太陽なくして月は輝かない」と、日本を思う島民の思いが込められていたといわれます。激戦を越えてなお七十年もの間、信頼と交流を深めてきた日本とパラオ。戦後の日本人が知らなかった歴史が、陛下のご訪問によって明らかとなりました。
パラオの人々のなかには、戦後の日本人が教えられてきたものとは正反対の戦争の歴史が、今も生きています。
どうでしょうか、改めて日本人としての誇りを感じ、素晴らしいと思いました。またこれからも、何かしらの形で思いを受け継いでいければと思います。
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